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馬場館

馬場館跡


登城日:(2011.10.13)
所在地: 村上市金屋
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
土塁で囲まれた馬場館の主郭 馬場館の縄張り図  馬場館跡は金屋字宮分に所在し、周辺よりも高位な自然地形を利用して造られています。馬場館跡は主郭と副郭からなり、現況は前者が八幡宮境内、後者が杉林と畑になっています。平成十四・十五年度に実施した確認調査から、十五世紀代(室町時代)の館であることがわかっています。
 主郭には土塁と堀がめぐり、その規模は土塁内測で北辺と西辺が各六十メートル、南辺が四十メートル、東辺が七十メートルで、面積は約3500平方メートル、平面形は歪な台形を呈しています。最も残りのより南東隅土塁と主郭内の比高差は1.5メートルです。主郭の出入口である虎口は、東辺と南辺の二箇所に推定されます。調査では井戸・柱穴・溝などのほか、東西十七x南北十三メートル、深さ一.二メートルの池が二箇所の虎口に近い主郭の南東部で確認されました。堀の規模は、確認できたもので南堀が幅十五メートル、深さ二メートル、中堀が幅十五〜二十メートル、深さ一.七メートルです。副郭は一部を調査しましたが、遺構は確認できませんでした。東辺虎口前に位置する馬出し状の区画であったと推定されます。
 建物には、土師器小皿、青磁、瀬戸美濃焼、珠洲焼、信楽焼のほか、瓦質風炉、茶臼、鉄瓶、羽口、鉄滓などがあり、主に主郭から出土しました。
 馬場館跡や金屋に関する当時の古文書はないために、当館の主は不明です。しかし、奥山荘北条黒川氏の領地や家臣を記した史料に「金屋」の記載が見られることや、奥山荘にある江上館跡や古館館跡も副郭を伴うなど館の構造に類似点が認められることから、馬場館跡は黒川氏の家臣の居館であった可能性があります。

『現地案内板』より

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資料
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私見
主郭と副郭の間の空堀 馬場館主郭北東隅の高い土塁  馬場館は、日本城郭体系にはその名がないようなあまり知られていない中世城館でした。城跡に掲示されている案内板では神社境内の主郭と、堀を挟んだ副郭とで構成されていますが、以前は南限を南堀を挟んだ南北に長い区画の辺りまでとされていたようですね。四周を堀が掘られ、土塁が巡らされており、さらには副郭まで有するのはかなりの規模感を現在にも伝えてくれている立派な馬場館ですが、ここを誰が造り、どう使っていたのかは伝えられていないというのが大変興味深くもあります。周辺の城館とを比較しながら、いろいろ想像を巡らせるのも城跡めぐりの楽しさの1つであると思わせてくれるお城ですね。
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