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春日山城跡
登城日:(2003.05.24)
所在地: 上越市中屋敷
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 堀底道のような大手道 大手道入り口です。  上杉謙信公の居城として知られる春日山城は、今から約六百年程前の南北朝時代に築かれ、越後府中を守る拠点であった。
 その後、謙信公の父為景公・謙信公・景勝公の三代にわたり普請に努め、現在見られるような大城郭になったと考えられている。
 春日山城の特徴は、山頂の本丸跡から山裾まで連続する屋敷跡群と、裾野に巡らされた総延長千二百メートルの総構え(通称監物堀)である。
 関東管領として、関東・北陸に覇を唱えた戦国大名の居城にふさわしい大城郭といえるなお、この辺りは、かつて空堀が掘られていた。

◆大手道
 この道は、江戸時代に描かれた春日山城の古絵図に大手道と記載されていることから、当時の人たちもここを春日山城の正面玄関口と考えられていたことがわかります。
 ここから春日山城に入ると、最初に視野が開ける場所が番所です。番所からは正面に本丸が望め、城があった頃は入城する人々を威圧したことでしょう。道は南三の丸や柿崎屋敷など春日山城の主要な屋敷を経て本丸に至ります。
 春日山城は、四季折々にさまざまな表情を見せてくれます。復元された大手道を巡りながら、中世山城の素晴らしさを満喫してください。
井戸曲輪跡 四方を見渡すことのできる本丸跡 ◆本丸
 南隣の天主台とともに春日山城の「お天上」と呼ばれた所です。標高180メートルの本丸からは、かつての越後府中(直江津)と周辺の山々の支城跡や日本海が一望できます。
 関川右岸に広がる、林に囲まれた村落が点在する風景は、慶長二年(1597)の「越後国絵図」に描かれた中世の景観とほとんど変わりません。関川の手前を手でかくして見てください。

上杉時代は、この辺一帯の高い所、毘沙門堂、お花畑、井戸郭をふくめて実城と呼びました。ここは実城のうち「お天上」と呼ばれた所です。南どなりの櫓台(天守台)とともに高さ約180メートル、平野、海上、米山をはじめ四方の山々の支城をひとめで見渡すことができます。城主は「お実城様」と呼ばれましたが、平素は城中の「お屋敷」にいました。

『春日山城跡案内板』より

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資料  

私見 上杉謙信公の像  今回の越後遠征では一番の目的地でした春日山城にやってきました。上杉謙信公がいた名城ですね。ここでは、車でそのまままっすぐに神社前まで乗りつけるルートと、山裾の大手前駐車場に車をとめ、そこから大手道を歩いて登るルート(2時間コースらしい)があるのですが、私は迷わず後者を選択しました。復元された大手道を歩きながら往時に思いを馳せる、まさに至福の時です。
 途中、番所跡や南三の丸屋敷跡などを通り、柿崎景家屋敷跡へと続きます。ここらあたりから各郭が独立した平地として存在しており、それが何段かにわかれて城の縄張りを形成していっているのがわかるようになってきました。柿崎や景勝の屋敷跡自体はだだっ広い平坦な地形なのですが、それぞれの屋敷へいくためには空堀やら、段差を登り降りしないといけません。
 そして井戸曲輪、天守台、本丸へと続くわけですが、これでもかと目の前に広がる戦国の息吹(^^;に圧倒されまくりでした。ここまで見所満載で、なおかつ見やすく整備されている山城は全国でも珍しいなぁと思いました。
 そうそう、疲れきって忘れてしまいそうでしたが降りてきたところ、ちょうど神社の手前には上杉謙信公の像が建てられていますのでこれを見ずして帰られることのないように。(^ ^b
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