笠岡代官所跡 :(2000.5.3撮影)
場所:笠岡市、笠岡小学校
歴史:
笠岡は、慶長五年(1600)に徳川氏の直轄領となり、元和五年(1619)に備後福山の水野氏の所領となった。
元禄十一年(1698)には、再び幕府の直轄領となり、元禄十三年(1700)五月、笠岡に初めて代官所が設けられ、以後幕末まで四十二代百七十年の代官支配が行われた。これらの代官の中には、「いも代官」として有名な十四代井戸平左衛門正明や、寛政十年(1798)に郷校「敬業館」を創立した三十代早川八郎左衛門正紀がいる。
◆小田県庁跡
このあたりは、堀ノ内と呼ばれ小田県庁の跡であり、もと三方を幅五・七メートルの濠で囲ってあった。以前は笠岡代官所跡であり字は小丸である。
小田県庁は、明治四年(1871)十一月十五日に廃藩置県の布告によって設置された深津県が、明治五年(1872)六月五日には小田県と改称され、その県庁が笠岡に置かれた。当時小田県(備中・備後のうち東部五郡)のほか岡山県(備前)、北条県(美作)の三県が置かれていたが、うちでも小田県は約五十三万石の最も大きい県であった。
明治八年(1875)には、小田県は岡山県に合併された。
『笠岡代官所案内』より
年表:
私見:
とうとう代官所跡にまで手をのばしてしまいました。ちょっと悩んだんですが、陣屋をのせてるんだから直轄領の代官所だって同じじゃないかなってことで自分を納得させました。(^_^;
それにここはのちの小田県庁があったところで、現在残されてるのはその県庁跡の現存門跡と見ました。
その門を中心に約50mはありましょうか、ずーと白壁が造られています。小学校なのに・・・いいですね。