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徳倉城跡
登城日:(2005.01.04)
所在地: 御津郡御津町河内
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
本丸下に残る石垣 長曲輪跡  徳倉城がいつ頃築城されたのかは諸説ありはっきりしない。暦応年間(1338〜1342)に須々木備中守が居城していたとか、太平記によれば高師秀が康安二年(1362)に在城したとも言われている。あるいは金川城を本拠とした松田氏八代目元成が整備したという説もある。
 戦国時代には松田氏の家臣の宇垣氏が、永禄十一年(1568)年には遠藤又二郎が入城した。最後は慶長八年(1603)年に廃城となった。

『御津の山城』御津町ワンダークラブ刊参照

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資料
 

私見
本丸東側には崩れそうな石垣 本丸にある妙見社  徳倉城への登城道は大手道と搦め手の道がありますが、やはり大手からいくでしょ普通。ってことで標高232メートル(比高170メートル)の遠藤山を登っていくことにします。
 県道御津妹尾線沿いの山道をあがっていくと大きな削平地の出丸跡に出ます。そこから少し藪こぎとなりますがピンクのビニルテープが迷わないよう所々でサポートしてくれますので安心です。堀切を抜けると長曲輪跡です。右側の急斜面に滑り落ちないよう気をつけながら大きく右カーブを進み、尾根上の稜線に出ます。そこから本丸へは何段にも郭が作成されています。途中井戸跡や石積み跡らしきものもあり、かなり遺構が残っているのがわかります。
 しかし本丸周辺の石垣を見た瞬間から一気にアドレナリンが出てきました。高さ3メートルほどの石垣が目の前に広がったのです。ここにも崩れそうな石垣  ここまでの状態でも十分満足でしたが、ここにきてこの石垣の状態は興奮ものですね。さすが県重要文化財指定です。しかしメインディッシュはそのままに、私は右手にある二の丸へと足を向けます(^-^)。南側から見上げた本丸下には大きな岩盤が表面に現れており、自然の石垣となっているのがわかります。そして二の丸を直登(何故か)し、本丸部に突入しました。頂上は予想以上に広く、妙見社が中央に置かれ、東側にも土塁と石垣が残っています。しかし石垣の状態は自然にまかせるままなのか、大きく崩れてるところもあり、なんとかこれ以上の崩れはとどめておきたいものです。
 すぐ上空を飛行機が通過するのはすぐ先に岡山空港があるのでしょう。空からも石垣は見えるのでしょうか。かなりお奨めです、徳倉城。
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