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真壁グスク跡


登城日:(2005.07.15)
所在地: 糸満市真壁
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
ニの郭への傾斜 展望台となっている主郭跡  真壁グスクは三つの郭から成るグスクで、三山分立時代に南山城の出城として築かれたといわれています。地元では「寺山」と呼ばれ、南側のグスク入口近くには真壁神宮寺が建っています。伝承によると、「真壁按司は白馬を飼っていた。その馬をめぐって国頭按司との間に争いが起こり、真壁按司は戦いに敗れた。忠義心の厚い白馬も主人の後を追って死んでしまったという。
 のちに、真壁按司の子孫が按司の倒れた場所で霊石を見つけ、それを祀るために建てたのが真壁神宮寺の始まり」と伝えられています。
 (『球陽外巻−遺老説伝−』1745年)
 本グスクは1995年8月〜9月にかけて市教育委員会によって発掘調査が行われました。調査は展望台のある一の郭を中心に行われ、堀建柱の建物跡が確認されています。出土遺物にグスク土器、外国産陶磁器、鉄器、古銭、炭化米、獣魚骨などがあり、14〜16世紀に栄えたグスクであることがわかりました。城壁は一部に切石積みが用いられていますが、ほとんどは野面積みで仕上げられています。

『真壁グスク跡案内板』より

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資料
 

私見
真壁神宮寺  真壁グスクは現在は公園として整備されてしまい、一見しただけではそこがグスクであったことはわからないと思います。大きくは3つの郭に分けられているようですが、それさえもはっきりしない状態です。左手に遊戯設備を見ながらまっすぐに歩いていくと右手に見えるのは、真壁按司を鎮めるために建立されたという真壁神宮寺です。そして、その奥の傾斜面をあがっていくと展望台が作られています。ここが主郭跡ですね。そこから緩やかな下り傾斜でニの郭跡となっています。
 二の郭に至る途中の北側斜面を覗き込むと少し石垣も見えるのですが、案内板に書かれているような豊富な石垣が残るグスクであるとは思えませんでした。(公園化されている時点であまり熱心に見なかったというのもありますが・・・汗)
 国頭按司との戦いに敗れ、無念の戦死を遂げた真壁按司。その霊を鎮めようと神宮寺が建てられたようですが現状の公園化についてはどう思っているのでしょうか。しかし公園化するにあたって発掘調査ができたということも言えるんですけどね。 
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