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赤山陣屋跡
登城日:(2003.03.02)
所在地: 川口市赤山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 陣屋内にあった山王社跡  赤山陣屋は、関東郡代伊奈氏が江戸幕府の直轄地を治めるためその任地に設けた役所の一つで、寛永六年(1629)頃伊奈家三代忠治によって創建されたものである。
 陣屋の構は、右図の通りで、約二万四千坪の広さがあった。陣屋の中枢部には、表御門・裏御門・御家形・御役家・御的場といった施設があり、北側と西側は二重の堀でかこまれていた。外堀には水があり、内堀は空堀で、この内側には土塁が築かれていた。また東側には山王三社と家臣団屋敷、南側・西側にも家臣団屋敷があった。この屋敷は、堀の内に17、外に41あり、その他に門番屋敷などもあった。屋敷の規模は1町前後のものが一番多かった。
 陣屋の内外の道路はT字路で直角に曲がっているものが多く、その両側には家臣団の屋敷や社寺が配置され、赤山陣屋はあたかも小さな城下町のようであった。社寺には、山王三社といわれる山王社・八幡社・天神社と、伊奈家の菩提寺である源長寺があった。
 なお、伊奈家は、寛政四年(1792)12代忠尊の時、幕府政治の変化と家中の騒動がもとで改易され、赤山陣屋も廃止された。このため陣屋の建物や家臣団屋敷は取り壊されて畑地となり、今は空堀と社寺を残すのみである。

『赤山陣屋跡案内板』より

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資料  

私見 空堀跡  埼玉高速鉄道「新井宿」駅を降り、越谷鳩ヶ谷線沿いに北上すること約15分くらいで赤山陣屋跡にたどり着きました。が、その前に赤山の信号手前で陣屋の外堀跡である案内板がありました。道路よりはるかに低地となったグラウンドには昨日の雨のせいにしてはやけに水がたまってますがそこが堀跡だったんですね。グラウンドって水はけいいはずなのに水没してる(笑)って不思議に見てたのでした。
 さてそこから少し先、赤山城址の石碑がたつ地点を左折すると山王社跡があり、そこら一帯が赤山陣屋跡のようです。整備されていますが公園、ゲートボール場などかなりの部分が現代に埋没してしまっているようでした。が、その奥には空堀跡が美しく整えられていてなんともアンバランスな印象を受けます。赤山陣屋は案内板からもよくわかりましたがかなりの規模だったようです。陣屋というよりも城跡と言ってしまっても全然違和感ないなぁと思います。
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