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忍城跡
登城日:(2003.01.25)
所在地: 行田市水堀公園、郷土博物館
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 郷土博物観である新三階櫓  忍城は文明年間(十五世紀後半)に成田下総守顕泰によって築城されたといわれている。この地は湿地帯が広がる地形によって攻めにくく守りやすい、名城であると謳われていた。
 天正十八年(1590)、豊臣秀吉が小田原の北条氏を攻めた際に忍城城主である成田氏長は小田原城に籠城して北条氏に従った。そこに石田三成が軍勢を引き連れて、忍城を包囲した。三成は全長十四キロにも及ぶ堤防を築き、利根川・荒川の水を引き入れて水攻めを行ったのである。しかし城はこの水攻めではついに落城しなかった。そのことはやがて、城が浮くためであるという噂もささやかれ、それが「浮き城」という別名を冠するようになる。
水城公園  やがて小田原城が落ちると忍城も開城し、以後は江戸城の北方防御として重視され、徳川親藩や譜代が城主を務め、明治維新を迎えた。
 現在忍城の御三階櫓は昭和六十三年に再建され、郷土博物館となっている。
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資料  

私見 水城公園内にある御三階櫓跡地  かつての忍城は水城公園として美しく整えられて市民の憩いの場になっています。近くには行田市の名物である「ゼリーフライ」が売られていますので一度食してみられたらいかがでしょうか(笑)。
 さて、御三階櫓ですが、綺麗すぎますね。北側の水堀とセットにした構図で写真を撮るのはお約束だと思いますが、中に入って博物館を見学するまでの気にはなれませんでした。それよりも付近にはかつての城の縄張りがわかるように小さな石碑が点在しています。ほんとの三階櫓があった場所も水堀公園内にあることがわかりましたし、あちこちを散策してみるといった楽しみのほうがほんとの忍城攻めじゃないでしょうか、って思うんです。
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