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小室陣屋

小室陣屋(小室城)跡


登城日:(2010.04.03)
所在地: 長浜市小室町
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
まるで庭園のように城址碑が置かれている小室城 小室城址碑  小室城は、正保四年(1647)に千利休・古田織部とともに三大茶人として、また、江戸幕府の作事奉行をつとめた小堀政一(遠州)の遺領を継いだ政之によって慶安元年に築かれた居館である。
 以後、政恒、政房、政峯、政方と継いだが、天明八年(1788)伏見奉行であった政方のときに改易となった。
 小堀家の居館や家臣の住居などは、寛政元年(1789)に大津代官所によって競売、城は廃された。同年には跡地の荒地を開墾して畑とするように命ぜられている。
 佐治家に所蔵されている『江州小室御屋敷指図』(写)によれば、南を正面として表門があり、その東から東側の裏門にかけて長屋が鉤形に設けられ、北側は山に面し、西側と南側の西半は築地塀によって囲まれていたことがうかがえる。
 この中に屋敷と、馬場・蔵などが建っており、ほかに小堀家にふさわしく、「転合庵」と「養保庵」の二つのお茶屋が存在した。この居館の外側、主に西側と南側に家臣の屋敷が居館をとりまくように並んでいた。

◆宇仲池の謂れ
 今を去る四百年前、小堀遠州の重臣、和田宇仲の邸宅がこの地にあり、この池の水を生活用水として常用して居りました。
 この水は頗る清冷にして、湯茶は勿論、御殿薬水並びに醸造にも用いられたと伝えられています。
 尚この池は如何なる干魃にも枯渇する事なく、三十数年前、水道工事が施行される迄は、住民の飲料水としても用いられ亦、住民の末期の水として重宝に用いられたものです。

『小室城跡案内板』より

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資料
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私見
現在も水を湛える宇仲池  小谷城の東へ少し走った小室の集落の中に大きな案内板がすぐにめにつきます。見ると小室城(小室陣屋)があるとわかりました。そこまではいいのですが、案内板に書かれた絵図を90度回転させて読まないと方角を勘違いしてしまいますので要注意です。案内板を右手にして真っすぐ進み、未整備の細い路地を奥まで進みますと城址碑がでてきます。陣屋の跡でしょうか、広い平坦な地形が残っていますね。ただビンなどのゴミがやたらと落ちているのが残念です。
 山を背にした奥まったこの地に小堀遠州が藩を開いたのかと思うと感慨深いのですが、寂しいところですね。現在も水を湛えた宇仲池(佑中池)も物悲しく見えてしまいました。
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