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宮川陣屋

宮川陣屋跡


登城日:(2007.11.18)
所在地: 長浜市宮司町、日枝神社他
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
宅地前に建てられた石碑 ◆日枝神社由緒
 天平十一年、天津児屋根命を勧請し、永久元年、大山咋命を祀り以後、山王宮と称し、宮川、下司、大東、室、大辰巳、勝、四ツ塚の近郷七ヶ村の惣社として祭礼は共同にて執行し、佐々木、京極氏が北近江の守護職のとき代々の当主、当社を尊崇し神田を寄進した事蹟があり、元禄十一年に堀田正休が一万石で当地に入封し宮川陣屋を設け、その孫の正陳は若年寄の功により三千石を加増され、その正陳は、享保六年に社殿を増改築して領内繁栄を祈願し、祭礼は一段と風流となる。
 天明四年には、村人等が長い歳月をかけて浄財を集め「山王神輿」(藤岡和泉利盈作)が奉納され、享和二年に同人に依って曳山颯々館(市文化財)建造され、この曳山の見送り幕に堀田正民みずから「龍の画」を画き楽屋襖に、岸駒晩年の作「岩上雌雄の虎」が寄進され、いずれも現存する。
 正月の「行い」は精進潔斎して青柳の大枝小枝に美しい八百花を形彩った瑞々しい餅花を拝殿に一対供え、農産を寿き、招福、延命を願う神事が厳粛に執り行われる。
 春の大祭(古くは八十八夜に近き四月の申の日であった)には、神輿は子供武者(母衣という)、稚児と共に御旅所より総持寺仁王門前で渡御し、曳山颯々館の上では、屡々子供歌舞伎が上演されたが、今では御旅所に飾られる。

『日枝神社由緒』より

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資料
 

私見
宮川陣屋跡一帯  日枝神社及び、石碑がたつ宅地一帯には元禄十一年(1698)に堀田氏が宮川藩を開いた場所でした。「以前は案内板があったのになぁ。」とは聞くのですが、一応神社の由緒書きの中に触れられていました。
 関係ないですが、日枝神社内にある手を洗うやつ(なんていうのかな?)がやけに低い位置にあるのが気になってしかたありません。足湯?とつっこみたいですね(笑)。
 城域が隣接した垣見氏館の土塁や堀跡が確認できる遺構として残っていますので、宮川陣屋とセットで訪問されることをお奨めします。
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