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広瀬陣屋跡


登城日:(2007.04.08)
所在地: 安来市広瀬町広瀬
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
小さな石碑もつくられています。 立派な案内板が設置されていました。  広瀬藩は、松江藩の支藩として初代近栄(ちかよし)によって1666年(寛文6年)に創設され、1871年(明治4年)の廃藩置県まで続いた。
 藩領は能義郡内34ヶ村、1万5000石と、飯石郡内24ヶ村1万5000石の表高3万石であった。
 藩庁跡は、邸内と御山を合わせて約10万平方メートルの広さがあり藩邸はしばしば火災に遇い長い間仮館であったが、1791年(寛政3年)正門を南向きに変え、濠を深くして新館が建てられ、1850年(嘉永3年)第八藩主直寛から城主格となって規模を拡張し施設を整えた。濠と諸門をめぐらした藩邸内には、正庁があり、倉庫、武庫、鼓桜、馬場などがあった。
 平成元年度、広瀬社会福祉センター建設に伴う発掘調査で玄関とそれに続く表の間数部屋が確認された。

『広瀬陣屋(広瀬藩邸)跡案内板』より

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資料
 

私見
社会福祉センターにあるこれはどうなんだろう・・(^^;  富田山城を東に臨む広瀬の集落の中にかつての広瀬藩陣屋がありました。広瀬小学校の西側にある広瀬社会福祉センターの前に石碑と、広瀬町名誉町民顕彰館の駐車スペースの隅には案内板が設置されています。案内板には細かく当時の陣屋の様子が描かれていますので、それを見ると相当広いものだったんだと分かります。詳しく調べてみるとおそらく当時の遺構が残っていると思うんですが、周囲を歩いて雰囲気だけ掴んだ気になることでよしとします。富田城には来ても、対岸の広瀬を訪れる方は少ないと思います。しかし、落ち着いた雰囲気が心地よいこの辺りを散策してみるのも案外いいものですよ。
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