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出雲国府

出雲国府跡


登城日:(2010.11.23)
所在地: 松江市大草町
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
 出雲国府跡
柱の跡で建物の規模がわかります。 出雲国府復元図  ここは飛鳥時代の終わりごろから奈良、平安時代に至るまで出雲国を治める中心的な官庁街と意宇郡の役所が存在したところです。
 発掘調査によって中心的な建物(政庁)や様々な業務を行うための建物が確認されていますが、調査地以外にも関連する役所群が存在することが想定されます。また、役所の中で玉作や鍛冶、鋳物など国庁で使用するための道具類を生産していた官営工房も存在していました。
 出雲国を治める国司は中央の都から派遣されていました。出雲国府も藤原京や平城京など中央の都城をモデルとして設計されたことが考えられ、周囲には正確な測量によって条理制の地割が施され、山陰道や隠岐へ向う官道も整備されていました。

 出雲国庁跡
 733年につくられた『出雲国風土記』は、全国でただ一つ残る完本の風土記です。出雲国九郡の役所、郷、地名伝承、神社、寺院、山川、道などがくわしくかかれています。
 ここは奈良時代に出雲国の政治の中心、出雲国庁のあったところです。周辺には郡の役所である意宇郡家のほか、意宇軍団、黒田驛(うまや)がありました。北側には正西道(山陰道)と朝酌渡(あさくにのわたり)を通って隠岐国へ連絡する枉北道(きたにまがれるみち)が交差する十字街がありました。
 東北1.1キロのところには出雲国分寺、国分尼寺の跡があります。
 意宇郡の地名は八束水臣津野命(やつかみずおみづねのみこと)が国引きをおえ、杖をつき、「意恵(おえ)」といわれたことからついたとされ、その場所が意宇の杜として残っています。

 政庁(後殿)
 この建物は国庁の中心的な場所である政庁に建つ建物の一つで「後殿」と呼ばれており、重要な儀式などが行われていた場所です。重要な儀式などが行われていた場所です。この建物の南側に政庁正殿や脇殿などがあったと推定されますが、発掘調査が実施されていないため実態はわかりません。
 政庁では、ヒノキの柱の基部や瓦が発見されており、掘立柱建物でありながら、一部に瓦を葺いていたようです。

 後方官衙
 この四棟の建物は国庁の中心的な建物である政庁の後にあることから、「後方官衙」と呼んでいます。
 政庁が主に儀式を行う建物であったのに対して、後方官衙では出雲国内の九つの郡の統括に関わることや当時の都である平城京や平安京との連絡や納税の事務など政務を行っていました。

 側溝
枡形が残る側溝跡  この溝は国庁の内部を区画して、雨水を大溝に流すためのものです。
 約80センチの幅を持つ溝の底には砂利が敷かれ、両岸には玉石で護岸がしてあります。溝が屈折する部分には1.2メートル四方の枡型が作っており、現代にも通じる高い技術が用いられています。

 雑舎
 国庁の中には政庁や後方官衙などの儀式や政治を行うための中心的な建物ばかりでなく、倉庫や調理施設、工房などが付設されていました。
 この建物は大きさからみて、そのような付属施設の一つと考えられています。

 国府総社
出雲総社である六所神社  この神社は国府の総社と呼ばれ、古文書にもしばしば登場します。総社とは国司が出雲国内の神々を合せ祭るなど、国内の神社を総括する機能を持っていました。
 当時は国庁の隣接地にあったと考えられていますが、平安時代以降に国府が衰退していくと、神社はかつての中心地に移転し、この地区の氏神として信仰され現在に至っています。

『出雲国府跡案内板』より

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資料
【地図を表示する】
 

私見
赤い柱の後殿跡 堀の役割だったのでしょうか?  奈良時代に出雲国の政庁であった、出雲国府跡にやってきました。周囲に水田が広がる中、史跡公園として発掘調査され、大変綺麗に整備されています。地図で見ていますとこのあたりは普段訪れている城跡とは完全に別の時代ですね。
 片方は場所が分かりにくいですが駐車場も2か所に用意され、出雲国府跡は非常に散策しやすくなっています。てっきり六所神社の北側が中心地なのかと思っていましたが、復元図で確認すると神社東から南よりになるのですね。まだ未発掘状態のようですが、いずれはさらに大きな公園となっていくのでしょうか。
 いや〜それにしてもすごい広さですねぇ。一つ一つ柱の位置を再現されているのを見るだけでも壮観です。一つくらい復元建物があってもいいと思うのですが、今後作られても全然驚きませんよ。また建物跡以外には堀(溝)がめぐらされていること、特に枡形が形成されていることには驚かされました。大変面白いですね。
 さらに、史跡公園の北側には石が大量に出土している一貫尻地区、国司の館があったと考えられている大舎原地区、金属器の生産や玉を作る砥石や水晶などが発見された日岸田地区などもあります。出雲の中心にある国府はかなりの賑わいをみせていたことでしょうね。
 ついでに出雲総社である六所神社も見ていきましょう。立派なしめ縄(と言っていいのかな?)が見事です。普段よく見る神社とは迫力が違いますね(^^;。ふとお賽銭箱の前に目をやりますと、「有」の文字に二重亀甲の紋がつけられていることに気づきます。これは十月を一般に神無月と言うのに対し出雲地方では神有月と言うことにちなんだものであり、さらには「十」と「月」をかけあわせて「有」を作っているのだとか。また全国から集まった神様はまずこの神社にお集まりになるそうですね。大変ありがたい場所なのです。

 『これからも健康でお城めぐりができますように・・』
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