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河下台場跡


登城日:(2007.04.08)
所在地: 出雲市河下町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
石垣、土居が美しく残る西台場
昭和51年の航空写真から見る台場跡
 ▲台場を強調 ■台場を強調拡大
 河下台場は、松江藩が文久三年(1863)に築造した台場の1つである。台場は東、西二箇所に別れ、海岸線に沿って緩い弧を描く土居、石垣がよく残っている。(国土交通省の「国土画像情報(カラー空中写真)昭和51年度」を転用)

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資料
 

私見
少し弧を描いている西台場 海岸側から見た東台場  河下台場は、十六島湾に面して作られた台場です。海岸線と並行して走る道路からもその姿が一望できるほどの良好な遺構状態でした。しかし・・・同時に両台場の間を分断するように新しく道路工事が進められています。海岸を埋め立て、私が訪れた目の前でまさに工事が行われていますよ。とりあえず細かく状況を確認していくことにします。
 まずは西台場の西端に取り付きました。現在何かの調査が行われているのか縦穴が掘られています。現状は二段の土居が約70メートルの長さを誇っています。またそれぞれの段には石垣で固められているのが見事に残されています。一番上の段が胸墻、そして二段目が砲床段とされているようですが、その奥の現在の畑地もかつての兵站地であったのではないかと考えられています。また台場を研究されている方によれば西台場隅にある石垣造りの溝に繋がる平坦地は船入りだったのではと見られているようです。
 最上部に立ち、東へと伸びる土居を改めて眺めてみると右へ少し弧を描いて造られているのがわかります。これが単純に一直線な従来の構造ではなく、西洋の影響を受けた構造とされる所以ですね。
陸側から見た東台場、肩墻が直角に繋がっています。 台場越しに工事されているのがわかります。  ここから東へと歩みを進めると途中で土塁が切れている部分があります。さらに東へ進むと、断ち切るようにして新しい道路が左右に延びていました。また、左側には大きく海岸部を埋め立ており、目の前で重機が作業をしています!逆に工事のジャマをして怒られるんじゃないかと思うくらいに申し訳ない気分になりつつ(^^;、東台場を目指します。工事中の道路を跨ぎ、畑地に入っていきますが、ちょうど地主さんがおられましたので許可を得て直進していきます。この辺りもずっと石垣が続き東台場へと繋がるのですが、この辺はかつてどうなっていたんでしょうね。
 さて、東台場は西に比べて規模こそ小さいものの、カーブが大きくなっているように感じます。興味深いのは胸墻に直角に曲がった肩墻が残っているところです。ここも調査がされているのかブルーシートがかけられています。
 河下台場は、島根県内では貴重な台場ですね。ここまで見事な遺構が見られるとは思いませんでした。しかしそうであれば余計に工事後の状況が気になってきます。なんとかここままの状態で残っていっていただきたいです。また、案内板なんてあればいいのになぁと思うんですけどね。
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