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鷺沼城跡
登城日:(2002.01.14)
所在地: 習志野市鷺沼1丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 鷺沼城跡  鷺沼城は城主は不明だが、「千葉郡誌」によると正応年間(1288〜1293)に、鷺沼太郎源太光義の居城であり、光義の墓が高台南西部にあったようである。現在は「鷺沼源太満義諸武士之碑」と書かれた石碑がたてられている。現在は周りは宅地化され、また公園に整備した城跡は遺構がかなり破壊されているものの土塁はよく残されている。

◆鷺沼古墳
 鷺沼古墳は、標高約十八メートルの台地上に位置し、直径約二十メートルの小型円墳がニ基所在します。西側の古墳は出土した埴輪から六世紀後半から七世紀初めのもので、東側の古墳は発見された石室の造りから七世紀中頃のものと推定されます。この石室の造りから七世紀中頃のものと推定されます。この石室は縦ニメートル、横約一メートル、高さ0.七メートルの大木さの竪穴式石室で、金属製工具を使用して築かれたと思われる精巧な切石積の造りです。石材は砂岩・凝灰岩で、南房総方面から海上を運ばれたものと考えられます。石室の中からは十一点の人骨細片が発見され、直刀破片・土玉・鉄鏃・刀子などの副葬品が出土しました。
 これらのことから、この時代に鷺沼を本拠とした豪族がいたものと推定されます。

『鷺沼城跡案内板』より

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資料  

私見 鷺沼城跡の土塁跡  京成津田沼駅から市役所方面に歩いて約10分ほどのところに鷺沼城跡があります。近所には鷺沼古墳跡といったほうがよくわかるのかもしれません。そこはかつて古墳であった場所のようで、丸くこんもりもりあがった古墳がよく見てとることができます。が、その上を子供が走りまわっているのですが、こんな状態でいいのでしょうか(笑)。たぶん、古墳を再現した公園なのでしょうね。
 しかし城跡はというと、そのまわりをぐるりと取り囲むように土塁があったのでしょう、今はかなりの部分が破壊されてはいるものの、その一部が残っているのが確認できました。
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