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佐倉城跡
登城日:(2001.10.13)
所在地: 佐倉市城内町、佐倉城址公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 佐倉城跡
◆椎木門跡
 北面、木造、本瓦葺、二階造り梁間三間、桁行七間。
 前面に馬出しが設けられていた。

◆二の門跡
 東面、木造、本瓦葺、二階造り梁間三間、桁行八間。
 本丸から大手門にいたる第二の門で「ニの御門」と呼ばれていた。−の門の東方−直線上にあたり、武器庫として使用された。門内は二の丸といい、藩政を執る役所が置かれていた。

◆一の門跡
 東面、木造、本瓦葺、二階造り梁間四間、桁行八間。「一の御門」と呼ばれていた。門内は本丸といい、天守閣、銅櫓、角櫓、御殿が置かれ、御殿の前庭には金粉をすりこんだ栗石が敷かれていたと伝えられている。

◆銅櫓跡
 木造、銅瓦葺、六間四方、二階造り。
 この銅櫓は、土井利勝が将軍から拝領し、江戸城吹上庭内より移築したもので、もとは三層であって、太田道灌が造ったものといわれている。

◆馬出し空濠
 城門前に築いて人馬の出入を敵に知られぬようにした土手が馬出しであります。
 この空濠は、明治初期より連隊造営のため埋められていたもので、昭和46年から2回にわたる発掘調査により、長辺121m、短辺40mのコの字型、深さ5.6mの規模と確認されました。
 復元にあたっては長辺、短辺はそのままとし深さを約3mとしてあります。

『佐倉城跡案内板』より

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資料  

私見 佐倉城跡馬出し  ママチャリのレンタル自転車で佐倉城跡のある佐倉城址公園へ。坂道が多くかなりしんどい道のりでした。が歴史民俗博物館から城址公園の中心部へと移動したりするのには自転車が大いに活躍してくれました。なんせ本丸内まで載り入れてましたから(笑)。
 佐倉城は北条方の鹿島幹胤がこの地に新城の築城を着工し「鹿島城」としました。が、豊臣秀吉の小田原攻めにて北条氏は滅亡、小田原落城とともにこの城も未完のままとなってしまいました。
 後に関東に入部した徳川家康が慶長15年(1610年)、佐倉に転封となった土井利勝に「佐倉城」の築城を命令し完成させ、その後、幕府の転封・改易によって城主はめまぐるしく変わりましたが延享三年(1746)堀田正亮が山形より転封になって以来、代々堀田氏の居城となりました。
 ここは建物こそないですが、あちこちにある門跡、堀跡、馬出しなど観るべきところが多いのです。また時間に余裕があれば公園内にある博物館にも足を向けられることをお奨めします。ちょうどその時にやってた催し物に興味がなかったので観にいきはしませんでしたが、館内のショップには立ち寄りました。関係資料も多く置いてあり、意外な掘り出しものが見つかるかもしれませんよ。
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