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滝田城跡
登城日:(2003.05.11)
所在地: 安房郡三芳村上滝田
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 遊戯施設かと見誤ったほどの展望台  城址は上滝田根古屋の西方の丘陵上にあり、下滝田区の大手口より登ると最高所は標高140メートルで八幡台と呼ばれ、石宮の八幡小祠がある。ここが本丸(主郭部)と考えられ、これを囲む形で曲輪と思われる数ヶ所の台地が見られる。東側の標高100メートルの中腹台地は馬場跡と言い伝えられている。
 城址は西方に尾根が続くが、南北に断崖がある要害の山城である。
 築城の年代は明らかではないが、安房志では城代を里見五代義豊の妹を妻とした一色九郎としている。また快元僧都記の天文六年(1537)の頃には、里見六代義尭が天文三年の犬掛合戦の後、暫らく房州部久里郡に居城していたと記され、これを滝田城とする説が有力である。
 また南総里見八犬伝では里見義実の居城で八犬伝発祥の城とされている。
方形状をなす本丸跡 ◆史実の目・・・・滝田城
 嘉吉元年(1441)、結城合戦に敗れた里見義実は、海を渡り白浜に上陸する。そこから参軍する兵を率いて北進し、千田城、稲村城に拠り、さらに北上して築いたのがこの滝田城である。
 年を下って五代義豊は、従兄弟の義尭と犬掛、川又の野で戦い、敗れて滝田城の西側の谷で自害したという。かくして義尭は里見家の党首となって数年この城に留まり、北進軍の指揮をとったといわれている。
 城の三方は険峻な断崖で、宮本城に通じる代表的な山城である。東下は北に通ずる往還道であり、軍の運用に便である。付近に根古屋、大手橋、馬場、遠見山など、当時を偲ばせる地名が多く残っている。

『滝田城跡案内板』より

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資料  

私見 本丸を見下ろす場所にある櫓台?  滝田城は、三芳村指定史跡としてとても大事に扱われているんだな、といった印象を受けました。だいたいの場所しかわかってなかったのですがバイクを走らせて村の中に入るとすぐに城へと導いてくれる標識がいたるところで目にすることが出来ましたので簡単に城跡の駐車場に到着することができまました。
 そこから整備された山道をまっすぐに進んでいくだけです。右手側は傾斜が急な断崖があり、左手側には堀切跡、土橋などの遺構が見られます。アップダウンの末、まず視界が開けてきたその先には犬にまたがった伏姫の像でした。そして朱に塗られた展望台が・・!
 城跡というよりは八犬伝伝承の地として整備されているだけか?と戸惑いつつもさらに奥へと進みます。やはりアップダウンがあり、最期は急な登り坂です。
 そしてその先には小さな祠と城址を示す標柱がありました。ここが本丸かと思ったんですが、この高台の裏手にある四角い平地が本丸跡でした。どうやらこの高台がかつては櫓台だったんですかねえ。そこからかなり低いところにある本丸が丸見えです。
 八犬伝の地として少し違った方向へいきかけてはいますが、夏場でも気軽に散策できそうな山城としてはなかなぁよかったんじゃないでしょうかね。
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