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若宮館跡
登城日:(2002.09.23)
所在地: 市川市若宮2丁目、奥之院
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 奥之院前に建つ若宮館跡案内板  鎌倉時代の中頃、下総国の守護千葉頼胤に仕えた富木常忍は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復しました。そこで、たまたま布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となったのです。
 そうしたところから、文応元年(1260)日蓮は、鎌倉の松葉ヶ谷で焼き討ちにあったとき、この常忍を頼って若宮に難を逃れました。この時、常忍は館の中に法華堂を建て、日蓮を迎えて説法を願いました。さらに若宮に身を寄せました。この若宮法華堂で開かれた日蓮の説法は、実に百回に及んだといわれます。この地が日蓮の「初転法輪の旧跡」とされるのは、この理由からです。このことで中山の大田乗明、曽谷の曽谷教信など、日蓮の信者になった人々は多く、また日蓮にまつわる数多くの伝承も残されています。
 弘安五年(1282)日蓮の入滅後、常忍は出家して日常と号し、法華堂を改めて法華寺と称しました。この法華寺は後に中山の本妙寺と合体して法華経寺となり、日常を第一世とし、法華寺は奥之院と称されるようになりました。
 いまでも土が高く盛られ、大樹の繁っている部分は、往時の館を取り囲む土塁の一部で、この館の跡を「若宮館跡」と呼んでいます。

『若宮館城跡案内板』より

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資料  

私見  ふらっと思いつきでバイクに乗ってなんとなくたどり着いてしまいました。完全にお寺なんですが、案内板が2ヶ所もあったのは驚きでした。案内板にもあるように、大樹の根元に目をやりましたがブロックで覆っているせいで土塁跡と感じにくい状態でした。
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