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八王子城跡
登城日:(2002.08.24)
所在地: 八王子市元八王子町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
八王子城跡本丸 ◆八王子城の構造
 八王子城は、深沢山(城山)山頂に本丸を置き、周辺に延びる尾根や細かく入り組んだ谷、麓の平地など、自然の地形を利用して築かれた戦国時代の城郭です。城の構造は、山頂や尾根は平らに削りとって大小の曲輪を何段にも並べ、建物を作りました。谷間には盛土して平地とし、館を構え、麓には屋敷割をして城下町をつくりました。山中を流れる城山川は堀として利用し、橋を架けることによって、防御の大きな役割を担っていたと思われます。
 八王子城跡は、約154haにもおよぶ広大な範囲が史跡の指定を受けていますが、その周辺にも当時の遺構が残っています。想像以上に大規模な縄張であったことがうかがえます。
 八王子城は、その地形的な特徴や、防御の方法を考えると、いくつかの地区に分けられます。本丸など主郭を中心とした山頂付近とそれに続く尾根に造られた要害地区、御主殿跡など館跡と見られる根小屋地区に分けられます。その範囲は少なくとも、東西約2km、南北約1kmにおよんでいます。
 現在でも、建物などを建てた曲輪の跡、石垣や堀切、土塁や通路の跡など、当時の遺構がよく残っています。八王子城跡は、全国的にみても、これら戦国時代の遺構をよく残す代表的な山城跡といえるでしょう。

◆要害地区
 要害地区は、急な斜面で守られた城山山頂から尾根の上に造られています。山頂付近には本丸・松木・小宮曲輪があり、西側には詰の城と呼ばれる曲輪が残っています。
 合戦の時に籠城して戦うところで、兵糧を入れる倉庫などが建てられていたと思われます。今でも2ヶ所に当時の井戸が残されています。
八王子城御主殿跡 ◆居館地区
 城山川沿いの山腹に御主殿と呼ばれる大きな館跡と、その東側にアシダ曲輪と呼ばれる曲輪が残っています。
 御主殿跡は城主・北条氏照の居館跡とされ、アシダ曲輪は有力な家臣の屋敷跡と考えられています。
 御主殿跡の調査では。大きな建物の跡や石を敷いた通路、溝などが発見されており、庭園もあったようです。

◆根小屋地区など
 城山川に沿った、中宿付近が根小屋地区と呼ばれ、城への大手口として城下町の一部を形成していたと思われます。また、城山川の南側には細い尾根に連続して曲輪と堀切が並び、太鼓曲輪と呼ばれています。その他、小田野の曲輪群や、恩方方面の搦手口にも多くの遺構があり、城全体の守りを固めていたと思われます。

◆八王子城の築城と落城
 八王子城は、北条氏照によって築城された山城です。氏照は当初、多摩川と秋川の合流地点にある滝山城(八王子市・国史跡)を居城としていました。その支配地は八王子はもとより、北は五日市・青梅・飯能・所沢の一帯、南は相模原・大和から横浜の一部にまで及んでいました。
 氏照が居城を滝山城から八王子城に移した動機は、永禄十二年(1569)武田信玄が滝山城を攻撃し、落城寸前にまで攻められたことから、強固で広大な八王子城の築城を思い立たせたといわれています。
 築城の時期は明確ではありませんが、元亀から天正初め(1570年代)に築城が開始され、天正年間の中頃に氏照が八王子城に移ったと考えられています。天正十六年(1588)には、豊臣秀吉の来攻に備え、兵糧の確保や兵士とその妻子の入城を命じ、守備固めの準備を急いでいます。
八王子城御主殿跡虎口 ◆城主・北条氏照(1540?〜1590)
 北条氏照は戦国時代の武将で、小田原に本拠を置く北条氏三代当主氏康の次男として生まれました。初め大石源三、その後北条陸奥守とも名乗っています。永禄の初め(1590年頃)、大石氏の後を継いで滝山城主となり、周辺に支配を拡大しました。その後栗橋城(茨城県五霞村)を勢力下におさめ、この城を拠点として北関東一帯の領土拡大にも活躍しました。
 天正十八年(1590)7月、小田原城の開城後、氏照は兄氏政とともに、豊臣秀吉から切腹を命じられて、その生涯を終えました。
◆御主殿跡
 この場所は、江戸時代はじめに描かれた八王子城古図に「北条陸奥守殿御主殿」と記されており、城主北条氏照が居住していたところです。
 今から約400年前の築城時に造成され、周囲の石垣と土塁で囲んだ長方形の削平地となっています。特に東側は敵の進入に対し厳重に防備するため、石垣で造られた虎口で守られています。
 これまでの八王子市教育委員会の発掘調査では、平らな部分から規模の大きい建物跡等が確認されており、今後も継続的に調査を実施し、その成果をもとに史跡整備を進める計画です。

『八王子城跡案内板』より

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資料
 

私見
 念願の八王子城にやってきました。夏場は出るという噂の八王子城です(笑)。意外だったのはかなり整備されているってことでした。天嶮の要害に守られた登城口もかなりしんどいというイメージだったのですが、観光地のようです。
 最初はやはり本丸を目指すべきだろうということで、山頂を目指していきました。途中新旧の2つの登城道があったのですが、新しいほうが楽だろうなぁと思い、新道を進みました。
 途中には金子丸や神社があり、そして約20分ほどかけて山頂である本丸に到着です。時間こそそれほどたいしたことないのですがやはりかなりきつかったです。汗だくになりながら本丸で一時のロマンに浸ります。まぁ山城に登られる方ならわかるでしょ?(笑)
 登ってきた道を戻り、また麓にまで帰ってくると今度は御主殿跡のある、根小屋地区を目指します。全然勉強しないまま来たんですけど、こういうのも復元されているだなんて全然思ってもみませんでしたので新鮮な驚きでした。御主殿跡には当時の石垣や、門の礎石、虎口などがよく復元されており、空堀や郭跡が広大な規模でよく残る山城の部分と、石垣が美しいこの館跡の部分とで八王子城は2度おいしい城でした。かなりのお奨めだなぁと実感です。
 これだけのものが落城する寸前なんて地獄絵図のような壮絶な状況だったのでしょうか。そりゃぁ出るもんもあるわなぁと思います(笑)。最後に、帰ろうとした時にバイクのキーをどこかで落としてきたことに気づきました。かなりのショックでした・・・・。あぁ八王子城恐るべし、と作り直してもらった新しいキーでその場をあとにしたのでした(T_T)。
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