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深大寺城跡


登城日:(2002.02.18→10.11.14)
所在地: 調布市深大寺元町2丁目、神大水生植物園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
深大寺城主郭の土塁  深大寺城が築城された時期、築城者も明らかになっていない。が、歴史上の文献にその名が出現してくるのは「河越記」「相州兵乱記」「北条記」などである。
 それらによると天文六年四月、扇谷上杉朝定が父朝興の死の跡を継ぎ、北条氏に対抗すべくこの城を再興したが、絶えず劣勢に立たされ、ついには居城河越城とともにこの深大寺城も落城してしまう。
 北条の勢力圏内に入った深大寺城であったが、再利用した様子もないことからどうやらそのまま廃城となったようである。

新人物往来社刊『日本城郭体系5』参照

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資料 【地図を表示する】
 

私見
二郭と三郭との間の二重土塁 二郭南の虎口  最初に深大寺城を訪れた時は月曜が神大水生植物園が休園日だったことを知らず、中に入れないまま悔しい気持ちで帰ったのですが、今回は朝からじっくりと散策することにしました。「そば処多聞」さんの看板が何気に城を想像させるものだったのがいい目印です。ここから水生植物園の園内に入り、すぐ右手の登り坂をあがっていくことになります。城は丘陵上から見下ろすように築城されており、近づくまでは木々が建ち並ぶこんもりした様相を見せています。
 迷わずそのまま第二郭の北側の空堀道を登り詰め、丘陵頂部に出ました。想像以上に広くて、綺麗に整備された公園ぶり、しかしそれ以上に存在感のある土塁が一気に中世城郭の佇まいを見せてくれます。深大寺城は大きくは南東端にある主郭を中心に、北西方面に第二郭、第三郭と広がる縄張りで構成されています。それぞれの間には空堀が掘られ、郭の周囲には土塁が築かれています。第二郭が一番大きく又きれいに整備されており、散歩するには気持ちのいい空間ですね。
城内に設置された縄張り図  一番目につくところには主郭へと続く土橋と、櫓台周囲をぐるりとめぐらせた空堀、土塁がありその美しさにしばし目を奪われます。しかしこの土塁や堀は復元させたものだとか・・ちゃんと書いててくれないと困りますよ(^^;。主郭は中央に土塁が東から分断するように伸びてきていて、間仕切りとなっていたようです。南、東側の土塁は二郭に見られるほど背が高くないのはかなり崩れてしまっているからなのでしょうか。周囲の木々を少し減らして見晴しがよくなればいいのですが・・今はいくつも並べられたベンチが空しく見えなくもないです。よく見ればやたらとベンチが置かれていますが、そんなに使われることがあるんでしょうか。休日だとは言え、朝だから誰もいなかったのかなぁ・・・。
 二郭の南端へとやってきました。腰郭へと続く虎口なのか土塁が途切れています。その先はネットで区切られていますので行けませんが、外部からも遺構にふれることができそうですね。そして左へと歩いていくと二重土塁と空堀がまっすぐ伸びています。ここの土塁の稜線も非常に美しく、とても戦うための施設とは思えないですね。一通りまわってみて、都心部に近いこんなところにここまで中世城郭の遺構が残されていることに感動ましたが、主郭に置かれた縄張り図と現状を比較してみるとところどころ整備のためか破壊されているようにも見えます。よく知らないので言及は避けますが、これだけでも素晴らしい状態ですので是非とも今の状態が残っていってほしいなと思います。あとなぜ櫓台のところと南側の空堀が藪状態なんでしょう。綺麗すぎる状態に物足りなくて(笑)、思わず飛び込んでしまいましたが。
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