城めぐドットコム HOMEへ Check   Twitterでつぶやく     

大森堀の内

大森堀の内跡


登城日:(2012.04.22)
所在地: 大田区大森中3丁目
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
 北村神社由来
現在は神社が建てられています。  當社は大森海苔養殖業に特に功績のあった北村石見守を祀り當地の海苔養殖業者の崇敬するところとなっております。
 本場浅草海苔の中心となった當地の海苔養殖業は今より二百八十有余年前の天和二年當大森村字堀之内の野口六郎左衛門が有志と計り幕府より海苔(竹かんむりに浜)建の免許を請けその基礎が確立されたのでありますがその後文政三年九月十二日境界紛争から海苔(竹かんむりに浜)建場を全面的に改めるという海苔養殖史上最悪の事態を招いたのであります。このような危機に際し當大森村の窮状を理解し海苔養殖業継続の決断を与えたのが北村石見守であり村民の崇敬するところとなったのであります。
 かくてその盡力を徳とし永く祀らうと同氏の烏帽子(大東亜戦争で焼失)を請い受け神社を建立したのが當社の起源であります。
 爾来例年九月一日を建入祭と定め同氏の徳を崇め海苔の豊作を祈願し今日に至ってております。
 尚、現在の社殿は昭和三十六年九月堀之内地区の海苔業者と有志の手により再建されたものであります。

 社殿造営之記
 三輪神社の歴史は古く、当初は第六天社と称しましたが、以後、大国主神社更に明治七年三輪神社と改称いたしました。
 大正時代に入り同四年より同八年に亘り、当所内三社の合祀(由来参照)により荘厳なる社様を整え奉斎されてまいりましたが、昭和二十年四月十五日の戦禍により灰燼に帰し、同二十七年八月に至り再建されました。其の後昭和六十年春、氏子有志により建設委員会を結成し、町内はもとより他町有志を含む七百余名に及ぶ崇敬者のご賛同のもと、新社殿造営並びに併祀の北村神社ほか諸施設の整備に着手、同年十月十六日地鎮祭、翌六十一年四月二十九日上棟の儀を経て、同年八月鉄筋コンクリート銅版葺き流れ権現造り三十九・七五平方米、正面より拝殿・幣殿・本殿からなる現社殿が竣工し、同年九月十三日盛大に落慶式典を挙行、同夜、厳粛裡に遷座の儀を執り行い、翌十四日・十五日と古式豊かに落慶遷座奉祝祭典が挙行されました。
例祭 九月第一土曜日・日曜日

『現地案内板』より

【戻る】

資料
【地図を表示する】
 

私見
 大森堀の内は、蒲田氏や大井氏の館があったとする諸説がありますが、詳しくはわかっていません。周辺は民家が立ち並び、往時を偲ぶ雰囲気は感じ取れませんが、唯一残る「堀の内」の名称だけは今後も残っていってもらいたいものですね。
 跡地だとされる三輪神社の案内板や石碑には海苔養殖の話や近年建立された社殿についての記述しかなく、少々寂しいものを感じます。でもこんなことを思うのは城好きだけでしょうけどね。
【戻る】