HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

世田谷城跡
登城日:(2001.04.27)
所在地: 世田谷区、世田谷城址公園及び豪徳寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
世田谷城堀跡?  南北朝時代(1331〜1391)の中頃、鎌倉府の支えとして、足利氏の一族・吉良治家が築城したとされ、城域は豪徳寺の境内を含めた台地全体に及んでいたとみられる。
 鎌倉公方足利持氏の時代(1409〜39)の文献によると、鎌倉府における吉良氏は、公方の次の関東管領上杉氏に次ぐ第三位の地位にあって、吉良殿様とか世田谷御所様とか呼ばれ尊敬されていた。
 吉良氏は、小田原の北条氏の勢力が武蔵国に及ぶと、北条の女を室としてその傘下に入っていたが、天正十八年(1590)八代吉良氏朝のとき、豊臣軍に世田谷城を明け渡した。

『世田谷城跡案内板』より

【戻る】

資料
 

私見
世田谷城址公園  世田谷城は23区内にあって「城址公園」となっており、たどり着くのに非常にわかりやすくなっています。この城址公園から豪徳寺までの一帯が城域だったのですからなかなか立派なものだったのですね。
 公園自体は小高い丘みたいなものがいくつかあって全体を歩く細い路地がつくられているだけです。ですからよくある市民公園とか児童公園のような人が荒らしてしまうということが少ないのが幸いでした。よく見るとその丘と丘の間にある通路が堀跡のようです。堀底を通路と化してたんですね。少しですが石垣の一部もありますけどこれはちょっと当時のものかよくわかりません。
【戻る】