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白金長者屋敷跡
登城日:(2002.02.24)
所在地: 港区白金台五丁目、国立自然教育園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 いたるところにある土塁跡  本園は、古く室町時代に「白金長者」の住まいがあった所と伝えられており、史跡に指定されております。
 本園内には、周囲を囲むように土塁がみられますが、この土塁は園内の多くの土塁の内側にあたっており、この附近に白金長者の住んだ館があったものと思われます。
 ここの前方・左右には、∩型の土塁がみられますが、この土塁は園内の多くがみられますが、この土塁は園内の多くの土塁の内側にあたっており、この附近に白金長者の住んだ館があったものと思われます。

◆土塁
 この土塁は、今から400〜500年前、白金長者とよばれる豪族が、外敵や野火を防ぐために築かれたといわれています。
 土塁は、園の周辺や館のまわりに作られ、その上にシイの木を植えました。前に見られるシイの巨木はその名残りです。

『自然教育園内案内板』より

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資料 ◆自然教育園のおいたち
古  代 縄文中期、この地に人が住みつく
中  世 豪族”白金長者”が館を構えたといわれる
江戸時代 高松藩主松平讃岐守来重の下屋敷
明治時代 海軍・陸軍省の火薬庫
大正時代 宮内省の白金御料地
昭和24年 国の天然記念物および史跡に指定
国立自然教育園として一般に公開

私見 白金長者屋敷跡  JR目黒駅に近い、都会のなかにたたずむ自然教育園のなかに白金長者屋敷跡がありました。たいして期待はしてなかったのですが、園内のいたるところに土塁が見られ、屋敷跡であった面影を色濃く残している状態には驚かされます。
 また、江戸時代にこの地を領した松平讃岐守の下屋敷であった面影として、大蛇の松、物語の松と呼ばれる大木が残っています。
 まわりはいろいろ工事もしていましたが、ここだけは完全に別世界としてゆっくりとした空気が流れており、いつまでもこの雰囲気を残していってもらいたいです。
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