HOMEへ  

石神井城跡
登城日:(2003.07.02)
所在地: 練馬区石神井公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 公園内にひっそりと残された城跡  石神井城は、平安時代末期から室町時代中期まで、現在の台東区、文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区、練馬区などやその周辺地域に勢力を持っていた豊島氏の居城の一つです。
 城の築城は、鎌倉時代後期と考えられ、文明九年(1477)四月二十八日に太田道灌に攻められ落城し、廃城になりました。「太田道灌状」によれば、最後の城主豊島泰経は、石神井城落城の後、平塚城(北区西ヶ原)に敗走し、その翌年の一月二十五日、再び道灌に攻められ小机城(横浜市)に逃げています。その後の泰経の足取りは、記録として文献には残っていません。
 城は、石神井川と三宝寺池に挟まれた台地に築かれており、全体では九ヘクタール前後の規模であったと推定されています。当時の城は、土塁と壕で土地を四角形に区画した場所(郭)をいくつか築き、防御施設としていました。例えば、城の東側は、ここより約100メートル程の場所に幅7メートルほどの壕で区画されていたと考えられ、西側は、ここより約220メートル程の場所に幅9メートル程の壕と土塁で区画されていました。また、北側と南側は、三宝寺池と石神井川という自然の地形を利用して防御されていました。

『石神井城跡案内板』より

【戻る】

資料  

私見 フェンスに守られた空壕跡  石神井城は石神井公園内にある、土塁と空壕跡がよく残る豊島氏の城です。なかなか行く機会がなかったのですが、東京を離れる最後の最後で会社の帰りに立ち寄ってきました。
 ほんとは西部新宿線「上石神井」駅から約20分ほどで公園につくことができると思います。有名な公園なので簡単にたどりつくことができるだろうとたかをくくっていたのですが、なぜか道を間違えてしまい、かなりの時間がかかってしまいました。おかげで写真が真っ暗に(T_T)。
 さて、現在の城跡は城址碑がおかれているあたりを本丸跡として、フェンスで大事に保存されているようでした。残念ながら足を踏み入れることはできませんでしたが、空壕と土塁の見事さは十分堪能できました。写真が真っ黒となっておりとてもアップできるようなものじゃないのが本当に残念です・・(くぅ・・。
 薄闇迫る夕刻の公園には時を惜しむかのように身を寄り添いあうカップルと、ゆっくりと公園内を散策するご年配の方々・・・。そこにはかつて激しい戦が繰り広げられた城跡であることが嘘のように平和な風景に、しばし時の無情さを感じさせられたワタクシなのでした。
【戻る】