HOMEへ  

立川氏館跡
登城日:(2003.01.31)
所在地: 立川市柴崎町4丁目、普済寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 今も残る土塁跡  今の立川普済寺の寺地はもと立川氏の居城跡で背を多摩川沿岸に面して眺望は広くひらけている。当時の土塁の跡は現在でも残っており堀割の跡も現存している。
 立川氏は武蔵七党の一つである西党日奉氏の氏族で、立川宮内大夫宗恒がこの地にはじめて居城を構えたという。立川氏は天正の頃断絶したと思われ、それ以後寺域となった。なお当時の建立は文和二年(1353)立川宗恒である。
 なお、同寺境内の首塚は、不揃な五重石塔で円形土塔の上にたっており、一説には立川宗恒の墓とも称し、また天正年間(1573−92)立川氏滅亡の際首級を埋めた所とも伝えている。この首塚の周囲から六十余枚の板碑が掘り出された。

『立川氏館跡案内板』より

【戻る】

資料  

私見 今も残る土塁跡  JR立川駅から徒歩20分ほどで立川氏館跡である普済寺につくのですが、少し大回りして残堀川沿いを歩いてみました。この日は天気もよく、ちょろちょろ流れる川と、ゆるやかに泳ぐかもの姿を眺めているだけでものすごく癒されます。って目的変わってました(笑)
 普済寺はその残堀川に面した高台の上に建てられており、そこからは遠く富士山が頭を出しているのも確認できるんです。さて、遺構ですが、西側の墓地のすみと、反対側の案内板がたてられているところにも土塁を確認することができました。
 この土塁といい立地条件といい、当時の様相を想像することは難しくなさそうですね。ま、私は残堀川沿いに腰をおろしてぼけ〜っとするほうがいいような気もしました(^^;。
【戻る】