HOMEへ  

桜町陣屋跡
登城日:(2003.05.05)
所在地: 芳賀郡二宮町大字物井105番地13他
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 国指定史跡、桜町陣屋跡  桜町陣屋跡は、二宮尊徳(金次郎)がこの一帯の農村復興に務めた拠点です。文政六年(1823)に着任し、以来26年間の永きにわたり桜町陣屋に居住しました。陣屋の建物は、尊徳が着任したときに建設され、その後増改築を経て現在に受け継がれています。当時、陣屋内には、主屋(役所兼住居)ばかりでなく、長屋・木小屋などがありました。発掘成果をもとにその位置が示してあります。
 桜町陣屋は、元禄十二年(1699)に小田原藩大久保家の分家宇津家が、この地に陣屋を構えたことにはじまります。桜町領(物井・横田・東沼村)は、公称四千石とされる豊かな土地になりましたが、100年後には、実質千石にも満たないほどに田畑は荒れ果て、人口も激減してしまいました。
 疲弊した桜町領を復興するため、二宮尊徳が抜擢されました。尊徳は、相模国栢山村(神奈川県小田原市)出身の農民ですが、小田原藩家老服部家の財政再建において、すでに実績を認められていました。尊徳は家族そろってこの地に移り住み、さまざまな苦労の末、桜町領の再興を果しました。「桜町仕法」と呼ばれる尊徳の復興手法は、相馬藩・小田原藩などでも実践され成功を収めています。
 明治元年(1868)桜町陣屋は廃止され、昭和七年(1923)国の史跡に指定されました。

◆史跡桜町陣屋跡
 元禄十二年(1699)、幕臣宇津教信(小田原藩主大久保忠朝の三男)が、当領地四千石の支配のために置いた陣屋の跡で、文政五年(1822)、小田原藩主より農地復興についての命を受けた二宮尊徳が、20数年間ここに住み、荒地を開拓し、報徳訓(道徳と経済とをあわせ説いた尊徳の教訓)をひろめ、農民を指導し、勤勉をすすめ、ついに農村復興に成功したところです。

『桜町陣屋跡案内板』より

【戻る】

資料  

私見 国指定史跡、桜町陣屋跡  桜町陣屋はかなり遠くから標識がでてましたので行かないわけにはいけないという気にさせられます。いってみて驚いたのはここが二宮尊徳が活躍していた場所であったことと、その広大な面積に、です。面積21,297.69平方メートル(史跡指定内14,322.46平方メートル)。陣屋跡としての面積としては他に類を見ない大きさですね。
 現状は土塁(これはおそらく後で復元したのでしょうね)があり、その先に建物があった跡を示すものが2つと、さらにその先には二宮尊徳がいたとされる主屋が復元されています。国の指定史跡に指定されているこの地は贅沢すぎるほどに土地を使っています。宅地造成等で史跡が破壊されていることが多いなか、ほかの自治体もここまでとは言いませんが、少しは見習っていただきたいものですね。あと、二宮尊徳氏の復興策もぜひ某氏に見習っていただきたい・・とか言ってみる(^^;
【戻る】