HOMEへ  

佐野城跡
登城日:(2003.05.04)
所在地: 佐野市堀米町、城山公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 二の丸から本丸へ  佐野城は、別名’春日岡城’とも言われ、その地名は、延歴元年(782)藤原藤成がこの丘に春日明神を祭ったことに由来すると伝えられています。慶長七年(1602)、唐沢山城主佐野信吉は、当時この地にあった惣宗寺(佐野厄除大師)を移転させるとともに、築城と町割を開始しました。
 今日見られる佐野の街は、当時の佐野城を中心とした町づくりがその原形となっています。佐野氏は、慶長十二年(1607)唐沢山城を廃してこの地に移りましたが、同十九年(1614)所領を没収されて改易となり、築城後まもなく城は廃城となってしまいました。
 城は、独立丘陵を利用した連郭式の平山城で、南から三の丸・二の丸・本丸・北出丸と直線的に続く郭で築かれています。これら縄張の主郭部は、全体で東西110メートル、南北390メートルの規模を有し、それぞれの間は空堀で区切られ、内堀へと続いていました。現在、内堀から外堀の範囲は市街化が進み、完全に埋め立てられていますが、主郭部は当時の城割の姿を良好に留めており、貴重な歴史文化遺産として後世に伝えるべく史跡・名勝に指定されています。

◆建物跡
 本丸の中央部からは、建物跡が発見され、柱を支える礎石が整然と等間隔に並べられていました。建物は、南北四間・東西六間以上の規模で、本丸の主殿に関わる施設であったと考えられています。この付近からは、桐紋の棟込瓦がいくつも出土しており、当時佐野家は、豊臣家と深いつながりであったことがうかがえます。

◆石組溝
 二の丸の北部からは、東西・南北に走る石組溝が発見され、南北溝の一部はクランク状に折れ曲がっていました。本丸同様、二の丸にもすでに排水施設が整備されていたことがうかがえます。調査された範囲だけでも、溝は東西16メートル・南北17メートル以上の区域に及んでいました。織部焼の向付なども出土しています。
二の丸から本丸へ ◆井戸
 三の丸の南部では、地表下1.5メートルの深さから石組みの井戸跡が発見されました。井戸は、内径が約1メートルですが、保存のため完堀せずに埋め戻ししたため、深さや底の状況は不明です。なお、井戸の北側20メートルほどの地点からは、城の馬出し部に巡ると思われる幅約10メートルの堀跡が確認されました。

◆外堀
 発掘調査の結果、築城開始から廃城まで僅か12年の短期間ながら、近世城郭としての機能はすでに完成されていたものと考えられます。外堀は、東西300メートル、南北600メートル四方の城郭を取り囲み、幅も広いところでは数十メートルに達していました。

◆石畳
 本丸の東部からは、地表下1.5メートルほどの地点から、両側に石垣が築かれた通路が発見されています。その通路には、石畳が丁寧に敷き詰められ、本丸の主殿へは階段が続いていました。なお、石畳には側溝が伴っており、排水施設と考えられます。

◆虎口
 本丸の南部からは、石垣で築かれた枡形状の虎口が発見されました。この場所は、二の丸から橋を渡って本丸に入る出入口にあたります。当時、廃城の際は、城が再び利用されないよう建物や石垣などはことごとく壊されてしまいましたが、発掘調査によってその破却の様子もわかりました。

◆水堀
 内堀と外堀の間に、東西へ延びる小規模な堀が発見されました。最大で幅2.9メートル、深さ2.2メートル、長さは25メートル以上に及びます。断面形はV字状で、いわゆる薬研堀といわれる堀の形をしていました。堀の南壁面には、柱穴が3つ一間間隔に並んでおり、中からは柱の一部が腐らずに出土しました。その柱根部には、墨書きで文字も記されていました。

◆性格不明施設跡
 道を挟んで三の丸の東側からは、一端に排水施設を伴った大型の遺構が見つかりました。この施設跡は、東西15メートル、南北10メートルにも及び、周辺に水抜き溝を巡らし、地表面を大きく凹地状に掘り込んでいました。中からは、長軸に沿ってその中央部に、上面が真平らな径1メートルもある大型石が、3メートル間隔で2つ並んで出土しました。
本丸から出土した石 ◆佐野城本丸の石畳と石垣
 平成四年度の発掘調査で、佐野城本丸から石畳の通路と石垣が発見された。
 石畳は、東西2.6メートル、南北5.6メートルほどの範囲で確認され、東部には水路と思われる幅20センチ、深さ20センチの溝がある。
 石垣は、最も良く残っている部分で、長さ6.4メートル、高さ1.4メートルで、いずれも細長い角礫を使用している。
 この東斜面には井戸跡もあり、石畳と石垣は、ここへの通路の一部であった可能性が高い。
 出土した石畳と石垣は、形状を損なうおそれがあり、保存のために埋め戻しを行っている。
 現在、埋め戻した石垣と通路に沿って、この付近から出土した石を並べている。

『佐野跡案内板』より

【戻る】

資料  

私見  たいした期待もなく訪れた駅裏の城址公園でしたが、意外にもよく発掘調査が行われ、丁寧に保存されているんだなぁという印象を受けました。駅の北口から出るとそこがそのまま三の丸になっていたのには笑えましたが、そこから二の丸、本丸へと歩いていくと確かに城跡の形跡を感じ取ることができます。
 案内板の文章がやけに多いので(笑)、私見は控えることにします。(^^;
【戻る】