栃木城跡 登城日:(2003.05.04) 所在地: 栃木市城内町、城址公園 |
歴史 |
栃木城は応永元年(1394)皆川紀伊守秀光が築いたと伝えられていますがその歴史をつまびらかにすることはできません。くだって天正十九年(1591)皆川山城守広照が皆川城にかわるものとしてこの地に城を築きました。 そのあらましは、 一、城の西入口より栃木町の通りまで五丁四十間(約618メートル) 一、城のまわり五百十間(約927メートル) 一、本丸 東西 八十二間(約149メートル) 南北 七十三間(約133メートル) 一、二の丸(東丸と南丸があった。) 本丸より東(これを東丸という。) 東西 十一間(約20メートル) 南北 三十六間(約65メートル) 一、蔵屋敷 東西 七十間(約127メートル) 南北 四十六間(約83メートル) 一、三の丸(二の丸のうち東丸の東方と南方にあった。) 東丸より東にあったもの 東西 五十二間(約94メートル) 南北 二十間(約36メートル) という規模のもので、その東北(鬼門)に皆川から東宮神社を勧請してまつりました。 その後、慶長十四年(1609)広照が家康の怒りにふれたため、取り壊されてしまい、堀の跡や土塁の一部が城内という地名とともに残るだけとなってしまいました。 『栃木城跡案内板』より
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資料 |
私見 |
栃木城は住宅地のなかに城址公園としてひっそりと残されていました。公園の西側を堀がめぐらされており、水が張られ鯉が泳いでいます。やけに透明度の高い綺麗な水堀だなぁと変なところで感心していました。 もともとそれほど大規模な城ではなかったようですが、廃城となった平城の状態としてはかなり良好じゃないかなぁと思います。この状態なら城址公園という名にふさわしいかな。
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