江美城跡 :(2000.11.03撮影)
場所:日野郡江府町
歴史:
伯耆国江美城は、蜂塚氏初代の城主、安房守によって開創され、文明十六年(1484)と伝えている。
江美城は、自来、二代三河守、三代丹波守、四代右衛門尉と、八十有余年にわたって、つづく動乱の時世に処し堅固な要害と、有力な武力を保有し殊に城下領民を育て、鉄山と開田の技術を家業とする、和戦兼備の特色ある蜂塚氏一門の居城であった。
尼子毛利の攻防続く中で毛利の軍議は、江美城蜂塚氏一門の鉄の技術集団攻略を先発するに決し毛利の副将吉川元春は、軍勢三千に鉄砲隊を差し向け、その采配を杉原盛重に命じた。
この日あるをかねて覚悟の城主蜂塚右衛門尉は、この大軍をむかえ討ち、奮戦敢斗死力をつくすも衆寡敵せず、遂に自ら城郭炎上を命じ、割腹して城と運命をともにしたのであった。城主の壮烈な自刃のさまを見て、家臣郎党ことごとく城主の後を追い、江美城は、ここに落城したのであった。
時に永禄八年(1565)八月六日、朝まだき刻であった、江美城主右衛門尉は、尼子の非運にあるを見て「弱キヲ捨テ、強キニ附カンコト、禽獣ノ心トヤ云ウベシ」と断じ、吾れと吾が一門の安泰をかなぐり捨て、武人の友情と節に殉じた、希代の武将であった。
江美城跡案内板より