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舟見城跡
登城日:(2003.05.24)
所在地: 下新川郡入善町舟見
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 城郭風博物館です。  越中古城記に「船見村古城−東山にある。築城の年代はわからない。」とあり史実上の築城は定かでない。宮崎城主太郎の嫡子「入善小太郎舟見城を構築す」の伝承のあることから、その時期は源平合戦(1183)から承久の変(1221)の頃と推定される。入善小太郎が北条軍を迎え撃つ一環として構築したと考えるのが妥当であろう。降って弘治年間(1555〜78)上杉謙信が敵中へ攻め入った、当時の城主飛騨守左近尉が防戦したが破れ、黒部川断崖より飛び降り最期を遂げたといわれる「飛騨が渕」の地は今も現存する。平治が続く江戸時代となり、黒部川にも橋梁が架かれるまで舟見城は、宮崎城と共に戦略上の重要な山城であった。

『舟見城跡案内板』より

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資料  

私見 鎮守堂です。  舟見城は舟見前山のの山上にある、舟見城自然公園として現在に存在しています。公園化するにあたりかなりの手を入れたようで、遺構を探すのは非常に困難でした。
 また、眼下が広がる平坦地の端には城郭風の二層三階の建物があるんですが、これもまたどうも中途半端な感じがして、なんかコメントが難しい城跡でした・・・。
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