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伏木台場

伏木台場跡


登城日:(2010.10.10)
所在地: 高岡市伏木湊町
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
◆澗改所(まあらためしょ)跡、伏木台場跡 江戸時代
伏木台場があったとされる場所  澗とは船着場(港)のことで、「うるま」または「まがた」とも読んだ。澗改所とは、今でいう税関と港湾管理事務所を兼ねた役所であった。伏木浦の澗改所の設置時期は明らかでないが、元和三年(1617)頃すでに澗改制度があったと考えられる。史料に澗改役人が最初に現れるのは、寛文八年(1668)である。
 安政六年(1859)当時、伏木澗改所で執務していた役人は、澗改棟取、澗改人(水主取締人・糧米取理役・浦口銭方相見人)、伏木村算用聞、同村肝煎、同組合頭などであった。これらの役人は、伏木浦住人の中から任命され、加賀藩の郡奉行の支配のもとに浦口銭(出入貨物を検査して取る手数料)の取立、指紙(積荷証明書)の交付、外海船と川舟との積み替え、荷積船や水主の割当、密航・密輸の取締り、外海船の出入港の許可、その他港務一切の執行にあたり、大きな権限を持っていた。
 江戸時代、伏木港に主に入荷したのは、綿、砂糖、鉄、紅花、青芋(麻)、木材、魚肥などで、港から最も多く出荷されたのは、吉久と伏木の藩営倉庫(御蔵)に収納された米であった。
 御台場とは砲台のことである。伏木御台場は、加賀藩が異国船に対する海岸防備のため設置を定めた13箇所の砲台の一つで、嘉永四年(1851)に澗改所と道を隔てて設置され、5門の大砲が据え付けられた。しかし、幕末の慶応三年(1867)頃にはすでに撤去されていたという。

『伏木台場跡案内板』より

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資料
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私見
伏木台場案内板  加賀藩が築造した台場は13箇所ありますが、越中国(富山県)にあるのは生地台場、放生津台場、伏木台場の3箇所でした。伏木台場は高岡市内を北上した、小矢部川が流れる伏木港近くに造られていました。伏木港湾合同庁舎のそばに案内板があり、そこにかつて台場が造られていた場所も示されています。残念ながら遺構はなさそうですが場所が特定できるだけでも嬉しいものです。嘉永四年(1851)二月に完成した同台場は、馬蹄型をなし土塁の長さが40メートルを超えるものとなっており、大砲五門を備えていました。回りを見渡すと古い木造建築もあり、味わいのある雰囲気が残っています。
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