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郷柿沢館跡
登城日:(2003.05.24)
所在地: 中新川郡上市町郷柿沢九日田、西養寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 土塁がよく残っています。  東西73m南北80m、面積5840uの複濠複廓式の屋敷跡である。周囲に幅2mから7mの濠を持ち、その内側に高さ幅共に2mから4mの土居を有するものでこれほどよく残るものは極めて稀である。
 この館は中世(室町時代)に中新川一帯を領した土肥氏の一族の館であったが天正年間、土肥美作守政繁が佐々成政に敗れた後、戦いに参加しなかった弥三五郎が俗家して農業を営んでいた。それより先、一向宗徒が宗門を守るため時の権力に抗して一揆を起こし、天正の始めには、豪族、椎名兵部も兵を率いて石山合戦に参加、帰国後、西養寺を開基したと言われている。現在の住職(篠原氏)は、椎名一族の直系と言われているが、土肥一族と深い係わりがあると言われている。

『中世豪族屋敷跡案内板』より

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資料  

私見 土塁がよく残っています。  案内板には中世豪族屋敷跡、となっていますが私としては郷柿沢館跡として訪問します。現在は西養寺となっていますが、実に見事な土塁が寺を囲んでおり、また水濠跡も残されています。周囲が平坦な地形の中に建つ平城の遺構としては十分すぎる現状です。
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