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太田本郷城跡
登城日:(2003.06.25)
所在地: 富山市本郷町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 田圃脇に建つ城址碑と案内板  この城は、安土桃山時代、上杉謙信の武将河田長親が一向一揆に備え、元亀三(1572)年ここに陣をはり、翌年「向城」を築いたとの記録があり、これが城の始まりと思われる。
 天正六(1578)年、織田信長の武将斎藤新五らは飛騨方面から攻め込み、河田長親らが撤退した後ここを居城とした。そして北西3キロおn今泉城にいる河田長親・椎名小四郎らの上杉勢を攻め、勝利したという。
 城の位置については、ほ場整理のときに建てられた記念碑周辺と考えられていた。平成三年の発掘調査で、ここから東に延びる堀跡が発見され、その中から安土桃山時代の土器が数多く出土したことから、この堀跡が城の一部であると推定される。
 付近には斎藤新五のゆかりの地がいくつか残されている。城跡の一角にある円光寺は斎藤新五の菩提寺として伝えられ、また、新五の娘の病をなおした霊泉と伝えられる的場の清水がある。

『太田本郷城跡案内板』より

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資料  

私見  ほ場整理で完全に破壊されてしまったのか、それともそれ以前に何もなくなってしまってたのかわかりませんが、今では碑と案内板が残されるのみ、となっています。寂しいですね。
 近所には歩いて1〜2分程度の所に浮田家屋敷跡がありますのであわせ技でどうぞ。
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