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富山城跡
登城日:(2001.03.16)
所在地: 富山市本丸、富山城址公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 模擬天守と本丸南側石垣  天文十二年(1543)越中守守護代神保氏が重臣水越勝重に命じ築城させたといわれる。その後神保長職・上杉謙信等の攻防の拠点となった。天正九年(1581)に入城した佐々成政が豊臣秀吉に敗れたのち、天正十八年(1590)頃に加賀前田家の持城となる。
 寛永十六年(1639)加賀藩三代藩主前田利常の次男利次は、十万石を分与され富山城に入城、初代富山藩主となり、以後232年富山藩主前田家十三代の居城であった。
 廃藩置県後、城の建物は徐々に解体され、堀は埋め立てられていった。残った旧城内には県庁等の公共建物が建ち並んでいたが、再三の大火や富山大空襲にて灰燼に帰した。
 現在の富山城は、昭和二十九年(1954)の富山産業大博覧会に際して、旧鉄御門石垣上に建設されたものであり、郷土博物館としてその歴史を伝えている。

『富山城跡案内板』より

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資料  

私見 巨大な石が目をひきます。  富山城は神保氏、佐々氏、前田氏と城主がかわるうち、また各時代時代にさまざまな変遷を経てきた城です。現在は見た目模擬天守だとはわからなかったほど見事な年月を経過してきたような三層の天守があり、郷土博物館となっているあたりを中心に意外とこじんまりした面積の中にあります。
 一番の見ごたえはやはり天守を正面水堀と本丸南側石垣とのセットで見たところですね。その前では、人がハトに餌をやっているよく見る風景かと思ったら、ハトよりもカラスが多くて、餌をついばんでいる場面には驚きました。
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