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甲府城跡 登城日:(2002.08.25) 所在地: 甲府市丸の内1丁目 |
| 歴史 |
この舞鶴城公園は、江戸時代に甲斐府中城と呼ばれた城跡を、明治三十七年に県立公園として、一般に公開したことに始まります。天正十八年(1590)小田原の役後、豊臣秀吉は、羽柴秀勝を甲府に入れて築城を命じ、その後は加藤光泰・浅野幸長に引き継がれて慶長初年には、約20ヘクタールに及ぶ巨大な城を完成させました。 関ヶ原の役後は徳川領となり、城代の平岩親吉により一部修築され、さらに宝永元年(1704)に甲斐出身の柳沢吉保が甲府城主となり、城下町整備と城の大改修を行いました。屋形曲輪や楽屋曲輪には豪華な殿舎を建築し、その威容を誇ったと伝えられています。しかし、享保十二年(1727)の大火により本丸御殿をはじめ多くの建物が焼失しました。その後は、一部の修理が行われただけで明治維新を迎えました。
現在は天守台・本丸・天守曲輪・稲荷曲輪・鍛冶曲輪・二の丸の一部と南側の堀が当時の姿を残しています。昭和三十一年に都市公園法により都市公園となり、昭和四十三年十二月八日には「甲府城跡」として山梨県文化財保護条例により史跡指定にしております。こうした壮観な遺構を現在に伝える貴重な文化遺産も400年の歳月を経た今日、石垣の一部に崩壊の兆しも見え、既設の公園施設の老朽化も目立ってきました。 このため、新たに発掘調査を行い、その成果にもとづき、石垣の修理、門や櫓の復元、堀の浄化、緑地や広場園路のリフレッシュなどの再整備を実施し、都市公園、史跡公園として快適な舞鶴城公園を後世へ伝えようとするものです。 『甲府城跡案内板』より
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| 資料 |
| 私見 |
甲府駅からほど近いところに甲府城跡がありました。が、駅からはわかりにくいですね。私は南側の堀が復元されているところを橋をわたって入城しました。かなりの量の石垣が復元されており、それによる威圧感が心地よいです。綺麗に整備された公園内を本丸へ歩みを進めてみます。緩やかな上り坂と勾配のある高い石垣、石段・・まぁ公園化されているわけですし、どこまでの石が当時のものなのか、どこからが復元なのかなんてどうでもいいくらいいい雰囲気に仕上げていただけてると思いました。が!!!・・・ よくよく石垣を見ていきますと、非常に落書きが多いことに気が付きました。しかもペンで書いているのではなく、石を彫ってあります(怒)。それが本丸内や天守台の石垣にもいくつか見られました。信じられないような暴挙をする人間がいますね。今までこんなに多くの落書きを石垣に見たことはありませんでした。ずぅっとほったらかしにしてるんでしょうかねぇ・・よくよく見るとあつしさんとけんじさんの相合い傘とかあるし(笑)。別にきみらの恋愛をどうのこうの言わないから石垣に落書きはやめて〜と叫びたいです。 気持ちを入れ替え、天守台からの展望はすばらしかったです。当時はほんと360度視界をさえぎるようなものはなかったでしょうねぇ。よく見るとなにやら櫓らしき建造物を工事してるような様子もあり、この甲府城はさらなる復元を進めていくみたいですね。 石垣の崩落化もはじまっているとのこと、落書きされた石垣の扱いもしっかりと対処していただきたいと思います。
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