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武田兵庫助屋敷

武田兵庫助屋敷跡


登城日:(2012.03.31)
所在地: 甲州市塩山小屋敷、松尾神社他
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
松尾神社奥に残る土塁  武田兵庫助屋敷は、武田信虎の子で、信玄の弟である兵庫助信実の居館であった。信実は河窪兵庫助と称して甲府の北にある河窪に居館を構えていたが、兄の松尾源十郎信是亡き後を継ぐ格好で、自身の息子に信是の娘を嫁に迎えてこの地に入った。その期間は元亀二年(1571)から、長篠の合戦で信実が討死する天正三年(1575)までのわずか四年であった。

『日本城郭体系』新人物往来社刊参照

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資料
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私見
松尾神社奥に残る土塁  松尾神社の社殿の裏手に土塁がまっすぐに残っているのが、同神社の南側からもよく見てとることができます。これが武田兵庫助屋敷の遺構のようです。現在は残されていませんが、東には中学校の校庭まで伸びていたそうでかなり大きな規模のものであったことがうかがえます。また私は未確認でしたが、西の恵林寺敷地内にある土塁も一直線上にあるということです。
 山間の街道沿いにあり、雁坂口警固のために構えられたものが平地居館、さらには名称として「屋敷」なんて聞くと大丈夫なのかなと思ってしまいますね。
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