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大高城跡
登城日:(2000.04.23)
所在地: 名古屋市緑区大高町城山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
大高城址。 この城は、東西約百六メートル、南北三十二メートル、四方を二重の堀で巡らしていた。
永正(1504〜21)のころ花井備中守が、天文・弘治(1532〜58)のころには、水野忠氏父子が居城していた。永録三年(1560)桶狭間の戦いのとき、松平元康が守っていたが、義元の死後三河に帰り廃城となった。昭和十三年国の史跡に指定された。

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資料
 

私見
大高城跡。右手に稲荷神社があります。 細い路地がくねくねと入り組んだ大高町はほんとに車泣かせの町です。散々大高城跡のある城山のまわりを進んでましたが、結局近くの公民館の駐車場をちゃっかりお借りすることにして、あとは歩いて登城しました。
城山といっても比高数十メートルといった小さな丘の上にある大高城にはほとんど遺構らしきものは見つかりませんでした。ただ頂上にある稲荷神社まわりに少し堀跡があるくらいです。なぜここが国指定の史跡に選ばれるのかが不思議ですが、やはり歴史的な意味があるというのも指定理由になるのでしょうか。
この大高城は徳川家康が今川義元から独立する契機になった時に居城としていた、極めて歴史的に重要な意味をもつ城です。永録二年(1559)に駿河から三河を経由して尾張へと侵攻を続けてきた今川義元はそうそうに大高城を攻略し、尾張攻略への足がかりとしました。
この動きに機敏に反応した織田信長は丸根鷲津に砦を築き大高城を孤立化させようとしました。しかしこの砦を松平元康(のちの徳川家康)が見事撃破。その功により今川義元から大高城を与えられることになりました。
その後義元は沓掛城を出発して、大高城へと向かう途中で桶狭間にて討死してしまいました。その後元康は岡崎城へ入城し、この大高城は廃城となってしまいました。
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