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荏原城跡


登城日:(2006.08.13)
所在地: 松山市恵原町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
土塁がめぐらされている荏原城。 高い土塁が残る荏原城。隅に櫓台跡がある。  この城跡は、室町時代から戦国期、伊予の豪族河野家十八将の首位であった平岡氏代々の居城跡である。
 高さ五メートルほどの土塁を周囲に築き、方形の平地で、長さは約東西130メートル、南北120メートル、堀の幅は北側20メートル、西と東は14メートル、南は10メートルで、南側で外とつながっている。四隅に櫓があったらしく西南の隅に石積みがある。矢竹が植えられているのは、この期の城塁に共通する特色である。
 建武二年(1335)、怱那氏が「会原城」で戦ったという記録が『怱那一族軍忠次第』にあり、築城は、それ以前である。土佐からの侵入を防ぐ拠点であったが、天正十三(1585)年平岡通倚の時、秀吉の四国統一により、道後湯築城とともに落城した。

『荏原城跡案内板』より

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資料
 

私見
荏原城の土塁跡。 荏原城を取り囲む水堀。  荏原城はとべ動物園から東へ1キロメートル弱の距離にある平野部にありました。南側の一部を残し、周囲を幅の広い堀で囲まれた状態が今も残っていますのでよくわかると思います。私も場所が特定しにくかったのですが、周りを見渡してそれっぽい茂みを目指しました。
 予想以上に幅のある水堀と、高い土塁が見事に残っていることに感動でした。南側一部は畑になっていましたが、土塁はそのまま三方を囲むように繋がっています。よく今日まで残ってくれたものです。平地城館でここまで綺麗に遺構が見られるのは貴重ですね。松山市に城巡りにきたらこの荏原城もぜひルートに入れられることをお奨めします。
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