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幸賀屋敷

幸賀屋敷跡


登城日:(2010.05.02)
所在地: 今治市宮窪町宮窪
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
幸賀屋敷の城址碑  現在の宮窪小学校の後方一帯の台地を、地元の古老は「コウガヤシキ」と伝えている。現地には浅い井戸跡や数多くの五輪塔が残っている。また西後方の小高い丘陵上に位置する、「宮窪城跡」との関係が、注目される。
 この台地に立ってみると、能島城跡はいうに及ばず、眼前にひらける宮窪湾を通じて遥かに燧灘を遠望することができる。代々の能島村上水軍の当主たちが構えた館跡ではなかったかと推定され、この台地が館として格好の立地をなしているのがよくわかる。
 この地域が海城(能島城)の後背地として、あるいは平時の居住地として一定の役割を果たしていたと考えられる。

『幸賀屋敷跡案内板』より

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資料
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私見
台地上にあったとされる幸賀屋敷  能島城が目の前にある宮窪町には村上氏の居館や城があったはずだろうという見方がされていましたが、よくわかっていません。幸賀屋敷は直接海は見えませんが、西方にある宮窪城跡だったら居館としては格好の場所なんですけどねぇ。
 幸賀屋敷には井戸も残っていたということでしたが、小学校付近には工事が行われていましたので随分と見た目もかわってしまうのでしょうか。
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