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船上城跡 登城日:(1999.01.16) 所在地: 明石市神明町 |
| 歴史 |
天正十三年(1585)八月、天下を取った秀吉は大名の国替えを行っていき、高山右近には当時高槻四万石から、明石六万石への国替えを命じました。明石に入封した右近はさっそく城造りをはじめました。それがこの船上城です。その規模は「城構多門塀を掛け小き殿主も有り之候」とあり、小ぶりではあるが、総構えの城郭だったようです。この天守は、後の天守閣というようなものではなく、二層の建物の上に望楼を取り付けた三層のものだったのではないかと推測されています。天正十五年(1587)六月、九州攻めの最中に秀吉は、キリシタン禁止令を出しました。そして、同行していた右近にも「信仰を捨てるか、地位を捨てるか」を迫りました。信仰を捨て切れなかった右近は追放され、その後明石は秀吉の直轄領となりました。 慶長五年(1600)十月、播磨の太守になった池田輝政は船上城に家老の池田出羽守由之を入れた。 元和三年(1617)に、小笠原忠政が明石十万石の領主となり、明石城を築城した。同五年に、船上城は火災により廃城となりました。
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| 資料 |
| 私見 |
明石警察のそばに船上城跡がありました。慎重に駐車スペースを探しましたが、結局警察横の道路脇に止め、私は心中焦りながら船上城跡へ向かいました。回りを水田に取り囲まれた城跡は不自然なまでに木々が伸び放題となっており、遠目にもまったく異なった雰囲気を醸し出しています。 が、行ってみて驚きました。3メートル四方ほどの小高い丘の上には本丸跡を示す城址と祠があるだけです。なんか無理矢理残しているような感じですね。回りの人もどう扱っていいのか分からないっていった状態なんではないでしょうか。ま、余計な心配ですけどね。
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