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土器山城跡
登城日:(2005.02.11)
所在地: 加西市田原町字瓦ヶ山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
高さ50センチほどの土塁がまわっています。  土器山城が築城された時期は明らかではないが、平将門の子孫と称する相馬民部少輔秀能の次男小一郎大学助政由に築城されたとされている。政由は嘉吉の乱(1441)に際し、息子大膳亮政茂とともに加東郡の三草山合戦で戦死した。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
なんだかわからないですが、削平地です。  土器山城跡がある瓦ヶ山は、加西市南部に位置し東側と南側に緩やかな勾配となっていますが北側は比較的急なものとなっています。途中、明らかに人の手による加工箇所があったり、ほぼ頂上に近いところに広い削平地が広がっています。どうも以前は何か社でもあったのかな。というのは礎石らしき石がいくつか転がっています。東側へ歩いていくと北斜面に掘切があり、その上に土塁がまわっている郭跡がありました。
 途中藪が生い茂る部分でちょっと腰がひけましたがあがってみてよかったです。(^^;所々最近の手が入った感じの部分もあり、怪しいのがなんとも・・・です。
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