HOMEへ Check   Twitterでつぶやく  

籾井城跡
登城日:(2003.10.04)
所在地: 篠山市福住字北山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
籾井城址碑、しかし篠山五十三次って・・?  後ろの山上に籾井氏の城跡があり、福住城・安田城とも呼ばれています。天正年間(1573〜92)の初期に八田城主籾井越中守教業が築いて拠所とした山城です。
 彼は豪勇の武将で波多野秀治に属し、明智光秀を撃退し続けましたので、「丹波の青鬼」と恐れられました。
 しかし、天正五年十一月ごろに本明谷川付近での激戦で敗れて自害し、落城しました。
 本丸は広く「籾城公園」の碑が建ち、二の丸・三の丸や堀切り等もよく残っています。

『籾井城跡案内板』より

【戻る】

資料
 

私見
大きな堀切りが残ります。  標高394メートル、比高150メートルの白尾山の山頂に位置する籾井城へ登ってみました。登城道は尾根上にほぼ真っ直ぐにつくられており、ゆるやかな傾斜になっています。同じ直登でも有子山城とはえらい違いです。薮も虫もなし、山城の状態としてはかなり良好です。周りの木々がやけに倒壊しているのが気になりましたが、カブトムシ採りの際の残骸なんでしょうかねぇ。
籾井城本丸跡にて  何分ぐらい登ったでしょうか。比高150メートル程度なのにやけに長く感じたのは傾斜が緩やかな分、距離が長いんですね。雨がぱらついてきた時には焦りましたが常に断崖が横に迫る細い登城道ですので慎重に歩かないと危険です。
 漸く傾斜も平坦になると、堀切りが現れ山城の様相をみせ始めます。そのまま三の丸、二の丸、そしてひときわ大きな平地となった本丸がありました。本丸の奥には「籾城公園」と彫られた碑が。どこが公園なんだか(笑)。でもここに児童用遊具が設置されてても無駄だけど。
【戻る】