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野村城跡
登城日:(2001.12.29→2007.2.4)
所在地: 加古川市八幡町野村
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
野村城に残る見事な横掘 野村城西側登城口  城主は、宮部吉祥坊というもので剣術の達人であった。天正の頃、羽柴秀吉に従って軍功があり、また三木合戦の時にも武功をあらわし、英賀戦争にも功が多く、且つ天正八年七月秀吉の因州鳥取を攻めた時には一方の旗頭として従い功があった。

 播州古城蹟集録には
 野村城、野村本丸東西十九間、南北十三間
 二の丸、東西ニ○間、南北十三間
 三の丸、東西十八間、南北十三間
 城主不知 別所長治幕下と記録されている。

『野村城跡案内板』より

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資料
 

私見
野村城の特徴的な遺構のひとつ、横矢がかかった土塁  長い間ずっと「行かねば!」と考えていたのですが、近所すぎて全然足が向かなかった野村城です。加古川市が立てた案内板と野村城を示す標柱が厄神八幡神社社殿の裏にありますので、このあたりに城があったのかと思われがちですが実はまったく違います(--;。かく言う私も教えてもらったんですけどね。Webでお城をご紹介されている方もご注意を(笑)。
 城跡は神社の裏山から見て北側、3つほど先のピークにあります(適当)。上に掲載した西側からの近景で判断してください。民家が途切れたところの少し北側から登城口があり、なんとなく道が続いていますので簡単に城域に踏み込むことができるでしょう。
 城の縄張りは西側に主郭と目されるものがあり東側に土塁が残っています。その下には落差5メートルほどの横掘が北面、東面にありさらに東側には2つの郭が南北に並んでいます。これらの間にも東西に横掘がめぐらされており、さらに東へと続いているのがみてとれます。面白いのは横矢がかかった土塁が1箇所見えることと、横掘を分断するようにあとから土塁が作られているところです。これを閉塞土塁というのだそうですが、そう言われないと絶対にわかりません(^^;。かなり崩れてしまっているようですが、東側の横堀を歩いていくと分断されているような気がしないでもないです(笑)。
 しかし驚きました。ここまで見事に遺構が残っているとは・・・。現在この城がある峰続きにあらたな施設や道路が建設されていますので壊される前に見ておかないといけないなと思っていましたが、なんとか残ってくれるのかな?いや、是非ずっと残していっていただきたい重要な歴史遺産ですね。
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