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置塩城跡
登城日:(2001.10.08)
所在地: 飾磨郡夢前町宮置
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
置塩城跡登城口  置塩城のある城山は標高約360mで、西から南にかけては夢前川がながれ、北部は断崖の急斜面となった天険に守られており、まさに山城を築城するには絶好の地であった。
 初代城主は赤松政則である。文明元年(1469)に築城した政則はまだ完全に支配できていなかった播磨をこの置塩を拠点に戦を続けていった。
置塩城跡  以降は義村、晴政、義祐、則房と赤松氏が続いたが、羽柴秀吉の播磨平定の際に則房が秀吉にしたがったために、赤松氏は阿波住吉に転封を命じられ、五代続いた置塩城は姫路城築城の際にその用材として解体され、廃城となってしまった。
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資料
 

私見
置塩城跡  実家にたまに帰った機会を有効に活用すべく、今日はじめて出会った不動石氏とともに夢前町にある置塩城を目指しました。折りしも秋のお祭りの時期ということもあってこの夢前町もその準備で町人が忙しそうにしています。車が駐車できるかなぁと心配でしたが、櫃蔵神社前の駐車場は予想以上に広く楽々駐車できました。そこから神社右手に少し歩いていくと城へとつづく登城口が出てきます。そこからは急勾配の山道が続きます。くねくねと折れ曲がる山道をのぼっていくこと約20分くらいでしょうか。見晴らしのいい南曲輪群が現れてきます。ちょうどもうすぐお城まつりが開かれるとあって発掘調査なのか、まつりの事前準備なのかわかりませんが整然と整えられた曲輪あとのうえにところどころシートがかけられています。
置塩城跡  そこから三の丸、二の丸へと続きますが、立派な石垣や堀切が残っています。また二の丸には背の高い土塁も確認でき、山城らしい山城です。姫路城築城のために用材が持ち出されたとはいえ、戦で落城したわけではないので残された遺構は見事なもんですね。
 一人でいくにはとても腰がひけてしまって今まで行かずじまいだったこの置塩城でしたが意外にも登城道は整備されており、また頂上部も雑草の刈り込み等されていて攻めやすい(といっても実際は難攻不落だったと思いますが)城になっていました。
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