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三田城跡
登城日:(1999.07.31)
所在地: 三田市屋敷町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
小学校内にある城址碑  約千三百年前、定慧上人により金心寺がこの地に創建されたが豊臣秀吉の三田城攻略の時焼失した。寺はその後屋敷町に再建され、明治二年の西山丸岡に移転した。
 なお、寛永十年九鬼久隆公が鳥羽より三田に移封され、この地に居館を構えた。三田小学校及び県立有馬高校はその跡地に建てられている。

 県立有馬高等学校付近は天正年中(1573〜)伊丹有岡城主、荒木摂津守の武将荒木平太夫の居城、のち山崎堅家、有馬則頼、松平重直そして寛永十年(1633)九鬼久隆と城主が代わる。三田小学校付近は、九鬼藩主の居館、現校舎地下に御台所跡が保存されている。七曜橋下が大手門筋。

『三田城跡案内』より


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資料
 

私見
内堀跡  水軍で名を馳せた九鬼氏が三田の地を領していたとはちょっと驚きましたが、その九鬼氏が三田を城下町として繁栄させたというのですからおもしろいですね。地図を見ながら「ちょっと歩かないと行けないかな」と思っていたのですが本丸跡地となっている小学校の正門脇に車をとめることが出来、猛暑のなか殆ど歩かずに城跡を見ることができて一安心です。
 もともと三田城にはほとんど石垣が使われていなかったらしく、遺構もあまりよく分からなかったのですが、小高い位置にある本丸跡と二の丸跡となっている高校との間に内堀の跡が残っているのがわかりました。現在は一見ただの溝となっていますが、城跡だという目で見るとなんとなく構造がわかった気になりますから不思議ですね。市の中心にあって、しかも平城であるという条件下ではこれでも十分だといえるのかもしれませんね。
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