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柴崎山城跡
登城日:(2004.08.01)
所在地: 姫路市八代宮前町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
山頂部にある小祠類  柴崎山城がある柴崎山は、八代山と同意と考えられており、だとすると初代城主は井出宗考沙弥である。宗考は永禄十二年(1440)赤松満祐の下知に従わず門戸追放となった地元豪族のうちの一人である。
 後に、享禄四年(1531)小寺則職が御着城に移ったあとの姫路城の留守居を命じられた八代六郎左衛門道慶が天文十四年(1545)黒田職隆と交代したのちにこの柴崎山へ拠っている。

『日本の中世城館調査報告書集成15』東洋書林刊参照

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資料
 

私見
山頂には巨大な岩盤があります。  柴崎城跡があったとされる山には大歳神社の本殿向かって右から登る道があるようです。私もそのつもりでやってきたのですが神社前のスペースは駐車禁止となっています。またその隣は交番があります。(いや交番がなくても禁止となってる場所には駐車しませんよ(汗))
 仕方なくそのまま神社左側の登り道をあがっていくことにしました。すると予想外の住宅地じゃないですか。そしてその住宅地の奥に駐車スペースがありましたのでここに車を停めることにしました。ここからだと歩いて5分程度で山頂までいけてしまいます。城跡とされる山は南北に長く伸びており、見た目以上の広さを感じます。が、実際城域としては頂上部とその付近の削平地程度だったんじゃないでしょうかね。
 山頂にはお堂(ここも削平地の一つですね)と、その奥には巨大な岩盤があります。これが石塁の形をしているという記述を読んだことがあるのですが、どうかなぁ・・という印象です。ここには井戸跡、さらにほかにも削平地があります。が、弘法大師はまつってあっても城跡であった等の記述は何もありませんでした。
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