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志方城跡
登城日:(1999.05.23)
所在地: 加古川市志方町志方町 観音寺
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
観音寺南門脇にある案内板 志方城は市易城とも呼ばれ、城の規模は現在の当観音寺の境内を本丸とし、本丸を囲む内堀の周囲に二の丸(志方小学校所在のあたり)西の丸(旧志方町役場所在のあたり)とかなりの規模の城であった。
 この城の城主、櫛橋家は藤原氏の末裔で伊朝を元祖とし代々赤松氏の家臣であった。伊朝より5代の孫、櫛橋左京亮則伊は、赤松政則に仕えて大いに重んじられ祖父の例にならって播備作3国の財産出納の役をつとめ文明13年(1481)志方・天神山に城を築き、明応元年(1492)この地に志方城を築いた。以来伊家、伊定と父子3代80年間続いたが、天正7年8月10日羽柴秀吉の攻略にあって落城した。

『志方城跡案内板』より

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資料
 

私見
観音寺正面 文献からだいたいの場所はわかっていましたので、2度ほどこの志方城跡を目指したことがあったのですが、志方小学校まではいけるものの本丸跡地の、観音寺が見つかりませんでした。今回は車を適当に止め、少し歩いて探してみました。
すると意外とすぐに見つかりました。志方小学校正門を右に折れ、約150mほどいったところの左手にやや奥まった格好で観音寺があります。
境内にはいってみましたが、誰も来なさそうな閑静なお寺でした。その南側にある門内に城跡を示す案内板があるほか、そこが城であったことを物語る跡はありません。おそらくこのあたりの人もほとんど知らないのではないでしょうか。
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