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天神山城

天神山城跡


登城日:(1999.05.23→2008.04.06)
所在地: 加古川市志方町西飯坂 愛宕山
 
【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
天神山城へと続く愛宕山の中腹にある赤松氏範碑 天神山城のある愛宕山遠景  天神山城は、永徳年間に赤松氏則によって築かれた。父である則村やほかの兄弟が北朝方であったのに対し、氏則は南朝方として戦った為、その功により三田城、福島城などを賜るようになる。
 至徳三年(元中三年、1386)に摂津中嶋にて叛乱を起こした氏則であったが、敗れ加東郡の清水寺に敗走。同年九月に長男氏春、次男家則らとともに自害して果てた。そのご天神山城は櫛橋氏の居城となる。
 櫛橋氏は代々赤松氏に仕え、伊光は赤松氏則を中嶋にて攻めた際に戦死しており、その子伊範に恩賞として天神山城が与えられたのではないかと考えられている。
 嘉吉の乱(1441)の際に、城主櫛橋貞伊が赤松教康に従って伊勢に脱出していることもあり、一旦この頃に城は落城していたとみられる。その後櫛橋則伊の頃(文明年間)に再興させ、以後櫛橋氏の居城となった。
 天正六年(1578)の羽柴秀吉による三木城攻めの折に、志方城と共に落城し、以後は廃城となったのか詳細は不明である。。

『日本城郭体系』新人物往来社刊参照

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資料
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私見
天神山城にはいつのものか不明な巨石がごろごろと 天神山城主郭跡  天神山城は、加古川市北部の志方町にポツンと立つ独立丘陵上にあります。ずっと前にも来たことがあったのですが、どうやらその時は峰を間違い、1つ北側を見ただけであったようです。
 天神山城への登城道は、南麓の天神社から登っていくことができます。すぐに「赤松氏範公碑」があり、そのままあがっていきますとやがてゴロゴロと巨石が点在しているのに出くわします。なんの遺構なのかよくわからない状態です。やがて城跡らしい段差があり、頂上は削平された主郭跡となっています。興味深いのは東へと延びる先に堀切があり、そこに土橋がかかっており先の郭へと続いています。正直言ってまったく期待していなかっただけに「こんなところにこんな遺構が?!」と嬉しい誤算でした。
 さらに北側へ延びる尾根先にも郭が続き、土塁も残っています。こちらも城跡としての様相を十分に残しており、驚きの連続でした。下草が結構ありましたので季節を選んで再訪したほうがいいなと判断しましたが、この天神山城はなかなかいいですよ。個人的には中道子山城野村城に次ぐ見ごたえのある山城です。加古川市内では。
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