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富松城

富松城跡


登城日:(2000.10.15→2013.08.03)
所在地: 尼崎市富松町二丁目
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
整備された富松城 中には入れませんが、よく分かりますね  富松城は戦国時代の城館で、長享二年(1488)の史料にその名がみえます。永正四年(1507)以降、室町幕府三管領の一家に数えられ摂津など畿内周辺の数カ国の守護を占めていた有力大名細川氏の分裂抗争を発端とする戦乱が尼崎地域に及ぶと、西摂地域の重要拠点であった尼崎城伊丹城越水城(現西宮市)のほぼ中間地点に位置し戦略上の要地である富松城は、その戦乱の主要な舞台のひとつとなりました。
 目の前に残る小山と溝は、城の西側の守りとして築かれた土塁と堀の一部と考えられます。これまでの発掘調査では、土塁の内側(東側)に当たる場所で大規模な堀が見つかっていることから、富松城は土塁と二重の堀を備え、東西150メートル以上、南北200メートル以上の規模の城館であったと推定されます。今も残る小高い土塁は、戦国時代の争乱を今に伝える大切な歴史的遺産です。

富松城跡案内板より

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資料 【地図を表示する】
 

私見
富松城の西側の堀 城ケ市を伝える建物も(^^  随分ご無沙汰となってしまった富松城でした。なんどかニュースでその名前を聞いてはいたので気にはなっていたのですが、ようやく再訪することができました。完全に以前の藪々状態とは別モノになっていますね。綺麗に堀跡が分かるようになり、土塁もよくわかります。ただ、ここは富松城の西北隅で、さらにその内側にはコの字状の内堀が発掘によって見つかっているんですね。「富松城を活かすまちづくり委員会」発行の『もっと知りたい中世の富松城と富松』を見ながら付近を散策してみました。カーブを描く路地だとか、城跡の名残りとわかる”城ケ市”の表記とか。ここでかつては激しい戦が繰り広げられていたのかと思いながら周りの景色とのギャップにクラクラしながら、想像を巡らせていました。あ、暑い時には平城でもまめに水分をとらないといけませんね。必要以上にクラクラします。
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