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八百里城跡
登城日:(2003.12.07)
所在地: 篠山市瀬利、八百里山
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
八百里山麓にある城址碑  八百里山は、古代は神が鎮座する山・神奈備として、崇敬されていたと考えられます。
 室町初期には、丹波守護細川満元の弟満国、持春の父子が畑荘を領し、この山城を拠点に地域の発展に努めました。
 波多野氏が丹波守護代になった頃の城主は、畑宗右衛門忠綱でした。天正七年(1579)五月、明智勢の猛攻により落城しました。ときの城主は、畑牛之丞守能で、長男守国、次男能国は討死し、守能は永沢寺に落ちのび、後に高野山で余生を送ったといいます。

『八百里城跡案内板』より

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資料
 

私見
八百里城跡の郭跡  土居の内をさらに北上し、西瀬利のバス停の細い路地を北へ進んでいくと八百里城の案内板と城址碑がありました。例によって丹波篠山五十三次の城址碑です。そこを左折し、細い坂道をあがり、小さな神社脇の駐車スペースに車をとめることができます。そこからが登城口となっていました。
 谷となっているところをほぼ直登状態であがっていくこと約10分くらいかな、で尾根上に到達できます。そこからは郭跡がいくつも連続して続きます。途中井戸跡らしき石組みがあったり帯郭があったりしますが、全体に単調なつくりだと感じました。草が枯れた今の季節でないととても登ることができないだろうなぁと考えずにはおられない山城でした。
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