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権現山城跡
登城日:(2001.09.10)
所在地: 横浜市神奈川区幸ヶ谷、幸ヶ谷公園
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史 幸ヶ谷公園の最上部  かつてこのあたりは権現山と呼ばれ、本覚山のある高島台と尾根伝いに繋がる急峻な山であった。戦国時代、当時の関東の支配者上杉氏の家臣上田蔵人は、北条早雲に味方して謀反を起こし、この山上に砦を築いてたてこもった。合戦は上杉方の勝利に終わったが、その後、上杉氏の力が弱まり北条氏による関東支配が始まった。
 幕末から、明治にかけて、お台場や鉄道用地の埋め立て、開削などのために山は削られ、現在のように低くなった。

『権現山城跡案内板』より

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資料  

私見 幸ヶ谷公園  台風の雨が小降りだったので青木城につづいて権現山城もいってしまいました。京急神奈川駅裏手にある木々が鬱蒼としている高台が権現山城です。現状は桜の季節に人が賑わう憩いの公園のようですが、二段の平坦な土地からなった城跡からは、まわりのビル群がなければ見晴らしのいいものだったのでしょう。また、この公園内にも道路が1本公園を縦断するように走っています。これは掘底道だったのかもしれません。いずれにせよ、この権現山城も青木城同様なかなかの要害だったのがよくわかりました。
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