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亀之甲山城跡
登城日:(2003.08.05)
所在地: 横浜市港北区新羽町
 

【歴史】 | 【資料】 | 【私見】

歴史
資生堂研究所北側からです。  文明五年(1473)、山内上杉氏の家宰長尾景信が没するやその後継を巡って争いが生じた。関東管領山内顕定と長尾景信の子景春との間でその争いが激しくなると景春は鉢形城に篭った。そして小机城は景春側の南武蔵における拠点として矢野兵庫助が居城したのであったが、それに対抗した上杉顕定方の太田道灌は亀之甲山に陣を構えたのである。
 文明十年(1478)、小机城は激しい攻撃を受け落城した。

『日本城郭体系6』信人物往来社刊参照

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資料
 

私見
 横浜市営地下鉄「北新横浜」駅から歩いて7〜8分、資生堂研究所がたつ高台がかつての陣城だったようです。遺構はよくわからないのですが、北側からその跡地に近づいてみますと山城跡らしい雰囲気が色濃く感じるのですが気のせいなんでしょうかもしれません。私としては裏手にある社あたりがいいんですけどねぇ(笑)。小机城が近いのでここから虎視眈々と狙ってたんですね。
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